『山之口貘 沖縄随筆集』

雨。のち曇。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトピアノ三重奏曲第四番 K.542 で、演奏はトリオ・フォントネ(NMLCD)。■ハイドン交響曲第九十七番 Hob.I:97 で、指揮はフランス・ブリュッヘン18世紀オーケストラNMLCD)。古典的演奏。■アルベニスの「イベリア」第三巻で、ピアノはアリシア・デ・ラローチャNMLCD)。


雨、きれいに上って好天。
珈琲工房ひぐち北一色店。白川静先生を読む。これまではどうも非科学的なような気がしていて読んでいなかったが、石牟礼さんの私淑されている先生だと知って読んでみた。もっと早く読んでいればよかった。自分も、科学教に毒されているなとつくづく思った。科学的非科学的と、そういう問題ではないのだ。先生の学問は、我々がいま現在どのように生きていくべきかということのためになされているものだったのである。そして石牟礼さんを読んでいてわかっていたことだが、先生の学問は東洋ということをはっきりと意識されてなされていたということである。もっとも、ここらあたりは自分が低レヴェルなので、先生のやろうとされていたことがはっきりとわかるとまではいかない。しかし、いずれにせよ一読してよくわかった。これからも少しづつ先生の著作を読んでみたいと思う。


図書館から借りてきた、『山之口貘 沖縄随筆集』読了。三十四年ぶりに沖縄に帰った貘さんは、戦後沖縄の何もかもが変ってしまったことに衝撃を受ける。古い沖縄が完全に消えてなくなり、まったく別の沖縄が新たに出来上がったかのような、それは有り様だった。(残っているのは舞踊だけ。)そして何よりも変ってしまったのが、沖縄の人たちが「琉球語」(貘さんは「方言」と呼んでいる)を当り前のように、まったく使わなくなってしまったこと。貘さんが琉球語で誰に話しかけても、答えはすべて「日本語」で返ってくるのだ。僕は、人がみずからの言葉を自発的に失って恬としているというのが、まるで想像できない。これはどういうことなのであろうか。それは苦渋の決断というものだったのだろうか。貘さんの記述を読むと、どうもそうではないようであるが。まあ、わたくしなどに何がわかるかと言われればわからぬと言うしかない。

山之口貘 沖縄随筆集

山之口貘 沖縄随筆集

でもまあ、自分のことを考えてみると、確かに岐阜弁というものはあるが、特に意識はしていないな。ということは、沖縄の人が「母国」の標準語をしゃべるようになっても、別に不思議はないのかも知れない。うーん、でも、本当にそれでいいのかなあ?

ああ、あと、忘れていた。戦後沖縄からなくなってしまったものに、貘さんのいうところでは、おばけとか幽霊とか、そういったものがあると。貘さんの子供の頃は、あやしげなものに囲まれて生活しているのを誰も不思議に思わなかったようである。これは、開高健もエッセイで、島尾敏雄奥さん(つまりミホさんである)の話として書いていた筈である。ミホさんによると、あやしげなものがいる場所があちこちにあって、そこで唱えるというような呪文をたくさん覚えていたという。戦後はそれらが沖縄からいなくなったそうだ。そんなことを開高は書いていたと覚えている。