『大江健三郎 柄谷行人 全対話』 / テリー・イーグルトン『文学という出来事』

雨。

NML で音楽を聴く。■バッハのピアノ協奏曲ト短調 BWV1058 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテル、指揮はユーリ・バシュメットNMLCD)。■ジャン・フランセの弦楽四重奏曲で、演奏はパリジー四重奏団(NMLCD)。■レオン・キルヒナー(1919-2009)の弦楽四重奏曲第一番で、演奏はテレグラフ弦楽四重奏団NML)。

Telegraph Q: Into The Light-britten, Leon Kirchner, Webern

Telegraph Q: Into The Light-britten, Leon Kirchner, Webern

ブリテンの三つのディヴェルティメントで、演奏はテレグラフ弦楽四重奏団NML)。ブリテンはなかなかおもしろい。■アルベニスの「イベリア」第一巻で、ピアノはアリシア・デ・ラローチャNML)。
Albéniz: Iberia; Navarra; Cantos de España

Albéniz: Iberia; Navarra; Cantos de España

 
図書館。スーパー。
二時間ほど昼寝。

図書館から借りてきた、『大江健三郎 柄谷行人 全対話』読了。1990年代の半ばに対談された三篇。確かにおもしろかったし、いろいろ考えさせられた。いちばん痛感したのは、いまや大江健三郎とか柄谷行人のような巨人たちが、ものすごい濁流によって押し流されてしまったということである。そして、自分などはその濁流の中のひとつの小石であろう。わたしは大江健三郎にも柄谷行人にもいまやさほどの興味はないのだが、つくづく自分がカスであるという事実を目の当たりにして、他人にはどうでもいいことながら、これは何なのだろうと思う。そしてまた、どうして大江や柄谷のような人がいまや無意味になってしまったのか。けれども、もはや二度と大江や柄谷という人たちは読まれないと断言することはできないけれども。本書所収の最後の対話では、もはや夢も希望もないとか、人類の終わりということが随所に出てくるが、まったくそのとおりで、それらは既にある意味では実現された。なるほど、柄谷行人が「統制的理念」などということをその頃言い出したのも、そのような背景があったのだと考えるとよくわかる。いずれにせよ、本書で何度も確認されているとおり、文学は終った。いや、いまも「文学」は存在するのだろうが、それは本書で語られている世界とはあまり関係がないものである。これは、よい悪いの問題ではなく、とにかくそうなのだ。もはや、歴史が引き返すことはない。

柄谷行人はほぼすべて読んでいるが、大江はまだ読んでいないものがたくさんあるので、少しづつ読んでいきたいのだけれど、どこまで出来ることやら。


図書館から借りてきた、テリー・イーグルトン『文学という出来事』読了。大橋洋一訳。

文学という出来事

文学という出来事