ニッコロ・マキァヴェッリ(マキャヴェッリ)『フィレンツェ史(上)』

晴。
昧爽起床。起きていきなりネットが繋がらない。暗い中、下へ何度も降りていってルーターなどをいじる。ようやく回復。

NML で音楽を聴く。■ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」で、ピアノはクリスティアン・ツィマーマン、指揮はピエール・ブーレーズNMLCD)。このところラヴェルづいているな。この曲はもちろん名曲。よくいわれることだが、ピアノがとても片手だけだとは思えない。それで必要にして充分。それから、ラヴェルには一種の官能性のようなものがあるのではないか。独特の美しさといってもいいが。感傷に限りなく近づくことがあるし。■バッハの無伴奏フルート・ソナタ イ短調 BWV1013 で、フルートは福永吉宏(NMLCD)。福永の少しあまやかなフルートがまず印象的。無伴奏フルートのための曲というのはあまりないと思うけれど(武満とかにあったっけ?)、いい曲だから聴いたことがない人には是非お勧め。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第十四番 K.457 で、ピアノは野平一郎(NMLCD)。これぞモーツァルトという演奏。■ブラームスの二重協奏曲 op.102 で、ヴァイオリンはゴルダンニコリッチ、チェロはティム・ヒュー、指揮はベルナルト・ハイティンクNMLCD)。■シューベルトのピアノ・ソナタ第十五番 D840 で、ピアノはワルター・クリーン(NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十二番 op.26 で、ピアノはヴィルヘルム・ケンプNMLCD)。広い領域だな。
 

県図書館→米屋→コメダ珈琲店岐阜駅前店にて昼食→肉屋→スーパー→オデュッセウスの帰還。三時間以上かな。

しかし、○○がすごい勢いで壊れているのにはさすがにわかっていても驚かされるな。エラそうなことは言いませんが。自分もダメにならないでいられるか自信はまったくない。とりあえずは無力感で壊れないようにするだけでいっぱいな気がする。自己肯定感があまりないしな。実際どうしたらよいのかほとんどわからないのだが。自分の世界は守った方がよいのだろうか。それすらも、(そんなことしたって)という気になってしまうが、とにかく気持ちのデフレ・スパイラルに入るとマズい。

僕は思うが、糾弾している方も壊れていますよ。いずれにせよ精神が貧しすぎる。先に海に落っこちた者としては、とりあえず息のつけるところを見つけないと。


ニッコロ・マキァヴェッリマキャヴェッリ)『フィレンツェ史(上)』読了。特に何かを書こうとは思わないが、ひとつだけ。本書では人間の愚かしさが膨大かつ、極めて冷静な、解剖学的ともいえる手つきで詳細に記録されているが、第四巻が始まってしばらくして登場するジョヴァンニ・デ・メディチの佇まいはひどく印象的ではあるまいか。ここまでにおいて勇敢かつ冷静、高貴な人物が少なからず登場し、彼らがことごとくなすすべもなく殺されていくのが見られるが、ジョヴァンニはその点で彼らに勝るというわけでもないけれど、ただ徒党を組まず、法を尊重する静かな姿を見せて、本書の登場人物の中ではめずらしく天寿を全うする。そのような人物はそれまでには見られず、また彼の子孫もジョヴァンニとはもはやちがう。コジモは決して愚かではないが、ただ自分のためにうまく莫大な富を使える人物にすぎないようにも、マキャヴェッリの筆では見える。マキャヴェッリはジョヴァンニについて特に何も語っていないが、不思議な姿に思える。
 それにしても、マキャヴェッリは民衆の愚劣さを冷静に書き記して已まない。貴族たちも愚かであるが、民衆よりはマシに描かれている。さて、いま現在はどうなのか知らないが、とにかくいま(の日本に)は基本的に民衆しかいない。別に自分はマキャヴェッリが正しいというつもりもないのだが、人間がどうしようもなく愚劣なのは同意する。自分を知っているしね。

フィレンツェ史 上 (ちくま学芸文庫)

フィレンツェ史 上 (ちくま学芸文庫)

まあ、マキャヴェッリの経歴を考えたら、本書のすべてを真に受ける方がどうかしているのではあろう。自分は小説でも読むように『フィレンツェ史』を読むという、素人以外の何者でもない。