川本三郎『小説を、映画を、鉄道が走る』 / 池内恵『シーア派とスンニ派』

曇。

NML で音楽を聴く。■バッハのフルート・ソナタ ロ短調 BWV1030 で、フルートは福永吉宏、チェンバロ小林道夫NMLCD)。すばらしい演奏。日本人演奏家の「当たり」の確率が高い。自分が日本人だからなのだろうか。不思議な感じがする。それにしても、NML でなかったら気づかなかったことだろう。■モーツァルト交響曲第四十一番 K.551 で、指揮はオイゲン・ヨッフムロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団NMLCD)。ヨッフムモーツァルトが悪かろう筈がない。しかし、すごい曲を書いたものだな、モーツァルトは。

スーパー。モスバーガーのドライブスルーにて昼食。

まだ台風は遠いのに、既に風雨が強い。大丈夫かな。

図書館から借りてきた、川本三郎『小説を、映画を、鉄道が走る』読了。

小説を、映画を、鉄道が走る

小説を、映画を、鉄道が走る

 

池内恵シーア派スンニ派』読了。すぐれた啓蒙書だと思う。また、自分にとっては最近の優秀な文系学者たちによる学問の仕方を知るために、非常に優秀な中東研究者である著者の本は、お勉強材料としてとてもよいサンプルで、得るところが多かった。自分は時代遅れのふつうのおじさんだから、いまの学問の仕方を知らないとね。さて、本書についてであるが、現在の中東問題の根っこに、シーア派スンニ派の対立があるという観点は正しいかというもので、簡単にいうとそういう見方は単純にすぎると(研究者なら)いうべきであるが、実際はそのような「宗派対立」もまた重要であることは否定できないとまとめてよいだろうか。ただし、イスラムにおける「宗派対立」とは日本人の考えるような、教義がちがうというようなものではなくて、歴史的なセクトのちがいであるということが啓蒙される。だから、どちらかがイスラム教的に「異端」であるかということは、どちらからも言えないようなものであるのだ。当り前すぎて本書では語られていないが、イスラム教にはキリスト教カトリックのような「教会組織(ハイアラーキー)」のようなものはなく、学者間の意見の相違がすべてであることは注意しておいてもよいだろう。
 というのが一応題名から理解できる部分であるが、本書はそれがすべてではない。具体的な政治状況、つまり「イラン革命」から始まったイランとサウジアラビアの対立が根底にあって、そこに各「セクト」間の対立が絡まり、さらにアメリカなど諸外国の介入がある、というような国際情勢論も、本書ではまた語られる。まあ結局、このあたりは現実がぐちゃぐちゃなので、さすがに著者のような明敏な頭脳にも、「まだら状の秩序」という、何を言ったことにもならないタームの創出で終っているところは、現実のむずかしさを反映しているといってよいのだろう。自分には結局もやもやは残ったのだが、まあある程度啓蒙されたゆえでのことなので、本書を読んでよかったというところであろうか。

 
深夜、風雨強し。雨が窓を打ち付ける。