宇波彰『ラカン的思考』 / 津村記久子『とにかくうちに帰ります』

曇。
寝坊。

起きてイオン。すごい人混み。

昼過ぎ、ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。ポン・デ・黒糖+ブレンドコーヒー。宇波彰ラカン本を読む。もはやポストモダン哲学の流行は去り、昨年ひっそりと出版されたらしい本書であり、何故なのか図書館にあったので借りてきたものである。ひさしぶりにポストモダン哲学のタームで書かれた本を読むことになったが、意外とおもしろい。ポストモダン哲学というのは、東さんのいうとおり「詩のように」読むべきであるが、それはポストモダン哲学の対象の特殊性によるものである。ポストモダン哲学が語ろうという対象は、言語の限界領域に近い。ひさしぶりにポモに接してみて、ポモはここまで切り込んでいたのかと、ちょっと驚かされるところがあった。もっとも、著者の意図はわたしにはほとんどどうでもよい。「主体の消失」ひとつを取っても、それはある意味では当り前のことであり、ことさら仰々しく言い立ててみたり、相変わらずのデカルト批判をしてみたり、ちょっとウンザリさせられないこともない。それにしても西洋哲学におけるデカルトの存在感はほとんど異常であり、西洋の哲学者とでも名が付こう人間などはまず例外なくデカルト批判をせねば始まらないかのようである。わたしはもちろん、「主体」にせよ「存在」にせよ、西洋人的な関心はまったくない。ただ、「存在の根源的な苦痛性」とでもいうべきものであるなら関心があるが、誰もそんなことは気にしやしない。
 しかし、ラカンか。自分は当然のように『エクリ』は読んでいない。『セミネール』の翻訳はそこそこ読んだくらいである。『エクリ』はまともな訳者の手でちくま学芸文庫あたりに入れてほしいものである。まあしかし、ラカンの断片だけでも結構考えるべきことはある。結局、みな断片しか読んでいないようにすら見えるしな。例えば「欲望」というのは自分にはいまだによくわかった気がしない。却って、「欲望とは他者の欲望である」と言ってしまえば、ラクになるというものだ。いずれにせよ、「欲望」の作動原理をいくら説明されても、まだ自分の中で納得がいくようなものではないのだ。なぜなら、それは本質的に「無意識」と関係があるから。ちなみに、現在にあっては「無意識」という概念はたちまち忘れられ、そんなものがあったのかということになっていると思われるが、それゆえに優れた「知性」が不合理性を識閾下に押し込めたままで、幼稚さというものからちっとも逃れられないのである。現代でも、そんなものである。

さても、本書は「むずかしい」本なのであろうし、ムズカシイ本バカリ読ンデマスネーというところなのであろうが、余計なお世話である。いったい「むずかしい」から何だというのか。

図書館から借りてきた、宇波彰ラカン的思考』読了。段々残念な本になっていく展開だな。ネットをよく知りもせずいいかげんなことを言う老害といわれても仕方があるまい。いまの若い人たちは、これよりは遥かにマシである。「ネットでは自分の気に入る情報しかみない。」まあそういう人たちが多数いるのは確かかも知れないが、そんなところを掘っても大したものなど出てこないのだ。たんなる老人の埒もないお説教とどうちがうのか。まったくどうでもいい。ベンヤミンとか言い出すあたりからおかしくなっていくな。まったく、クズがこういう本を読むと疲れる(というか脱力する)。大学教授って何なのか。

ラカン的思考

ラカン的思考

せっかくポモを擁護しようと思ったのに、とんだ藪蛇だった。

津村記久子『とにかくうちに帰ります』読了。短篇集。これはおもしろかった! どれもサラリーマン(とサラリーウーマン?)の話なのだが、自分はサラリーマンというものをやったことがないので、興味津々(?)で読みました。「会社で仕事をする」って、こんな感じなのか知らん。どうも仕事をするというか、半ば人間関係の処理をしているという風に見えるのだけれど、どうなのでしょう。まったく自分は世間というものを知らないね。こんな自分が会社づとめしたら、同僚にどう思われるものか、そら恐ろしいものがある。もちろん働いたことはあるのだが、働くのはなかなかしんどいことだった。それでもある時期までは仕事は楽しいものだったが、次第にひどいことになっていって、最後の方はもう修行だと思って淡々とやっていた。自分には向いていない仕事だったと思う。でも、それくらいしかやる仕事がなかった。いまも、もう仕事はあまりしたくない。
 どの短篇もおもしろかったけれど、例えば表題作はちょっと着眼点が秀逸だった。どこか、埋立地か何かのオフィスで働いている人が、大雨で電車もバスも不通になり、歩いて帰宅するのにほとんど「遭難」しそうになるというお話だったが、まったくマッターホルンでもなし、現代の東京(だろうな)で「遭難」しかねないという状況を、作ってみせたのがすごい。そしてここでも、雨の中での人間関係の話である。まあ、でも小説などみんな人間関係の話といえばそうなので、何も言ったことにならないか。オフィスの、サラリーマンの人間関係。いや、わたしにはまったく未知の世界で、やはりどうしようもなく自分は世間知らずであると、痛感せざるを得ないですね。どうも、自分は人と付き合うのが苦手な人間になったようである。かつてはそうでもなかったと思うのだが。
 いやまあね、皆んな善人でもないけれど、悪人でもないですよ。それはわかるけれど、さて、それは出発点にすぎない。いまの勤め人を描いた小説ってのは、自分にはおもしろいのだな。「人生いかに生くべきか」とかから限りなく遠くて、とにかく何とか目の前の仕事が片付いて、お給料が出て、上司と同僚はまずまずの人間で、で夕食にビールの一杯でも飲めればいいのだろうか。いや、バカなこと言っているなとお笑いください。皆んなえらいな。

とにかくうちに帰ります (新潮文庫)

とにかくうちに帰ります (新潮文庫)

何か本書では結婚というのは絶望的な感じなのだけれど、そういうものなの? まあ結婚というのは自分はもはやあきらめているが、うーん、で何だ、書くことが思い付かない。皆さんはちゃんと結婚して、幸せになって下さい。あなたのこれからの幸福をお祈りいたしております。

よく「上司にウンザリしたくなかったら自分で起業せよ」という人が多くて、まあ確かにそれはまちがいないのだが、ではそうしたところで自分が部下をウンザリさせるってのはどうなのかね。ってマジどうでもいいですが。