日曜日。晴。
早起き。
NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ協奏曲第十九番 K.459 で、ピアノはマリア・ジョアン・ピリス、指揮はアルミン・ジョルダン(NML)。この曲の現代的な演奏を探していたが、なかなかいいのがなくて、結局ピリスを聴いている。ピリスにはいつも賛成というわけにはいかないが、やはり現代においてオーソドックス(正統)だなと思わざるを得ない。しかしこの BOX セット、安いですね。
- アーティスト: Wolfgang Amadeus Mozart,Theodor Guschlbauer,Armin Jordan,Lisbon Gulbenkian Foundation Orchestra,Lausanne Chamber Orchestra,Maria Jo o Pires
- 出版社/メーカー: Warner Classics UK
- 発売日: 2008/07/15
- メディア: CD
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- アーティスト: 阿部裕之ピアノ,モーリス・ラヴェル,ソロピアノ作品全集
- 出版社/メーカー: ナミレコード
- 発売日: 2017/11/25
- メディア: CD
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酷暑。お昼寝のち、またウチのスイカを食う。冷たくて甘くみずみずしく、うまい。
エアコンが限界のようにぶん回っている。
NML で音楽を聴く。■ラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」、「水の戯れ」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」で、ピアノは阿部裕之(NML)。すばらしいラヴェルだな。ラヴェルのポピュラー曲を聴いてみたけれど、徹底的に練り上げられている。ただこれ、聴く方にも多少の器の大きさを要求してくるよね。わからない人は全然わからないと思う。こんなすばらしいラヴェルは滅多にないのだけれど。ホントですよ。■ドビュッシーの前奏曲集第二巻で、ピアノはディノ・チアーニ(NML、CD)。あああ、しんどかった。この曲を43分間聴くというのは自分の限界に近い。ピアニストもすごいのだけれど、ちょっと反芻している余裕がない。疲労困憊です。
ドビュッシー聴いて死んでれら。ホント俺って器が小さいよね。
夕食後寝てしまう。夜十一時に目覚める。
二時間ほどごろごろする。
図書館から借りてきた、石牟礼道子『ここすぎて 水の径』読了。九州にはぶあつい文人のネットワークがあるな。関西にもある。わたしの住んでいる中部地方に、目ぼしいものは思い当たらない。自分からしてそう思うのだが、中部人、いや、愛知岐阜の人間は、比較的人間の底が浅いと思う(かえってその辺境部はそうでもないかも知れない)。いくらいばっても、文化の厚みに乏しいのではないか。土地の霊(ゲニウス・ロキ)も、どうなのだろうか。もちろん昔はこのあたりにもゲニウス・ロキはいたであろうが、いまや雰囲気のある場所はなかなか思い当たらない。しかしおそらくはそんなことはないのかも知れなくて、自分にかかる感受性が乏しいだけなのかも知れない。石牟礼さんの郷土愛を目の当りにして、そんなことを思ったりした。
- 作者: 石牟礼道子
- 出版社/メーカー: 弦書房
- 発売日: 2015/10/24
- メディア: 単行本
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そういえば京都の僕が住んでいたあたり(北山)は僕がいた頃はまだのんびりしていて、畑などもまだたくさんあり、細流には蛍が乱舞したものであるが、いまはどうなのだろう。ストリートビューで見ると、もはや自分の記憶とあまりにもちがう光景になっている。一乗寺や高野のあたりが生活圏というところだったが、あのあたりも一本裏道へ入るとまだ田舎っぽくて、いい感じだった。だから、恵文社一乗寺店などは、当時はあまりにもおしゃれな雰囲気だったのだが。自分の知っている古本屋も、かなりが既になくなっている。そりゃそうだ、もはや四半世紀前のことだからな。