小川剛生『兼好法師』

曇。

NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十番 op.14-2 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第六番 op.18-6 で、演奏は東京Q(NMLCD)。

NML で音楽を聴く。■シューマンの「森の情景」op.82 で、ピアノは内田光子NML)。異様に趣味的な演奏。シューマンをまるでシューベルトのように弾いている。内田光子らしい。深い? 確かに。

シューマン:ピアノ・ソナタ第2番、森の情景、暁の歌

シューマン:ピアノ・ソナタ第2番、森の情景、暁の歌

ハイドンのピアノ・ソナタ ホ短調 Hob.XVI:34 で、ピアノはシュ・シャオメイ(NML)。カッコいい曲だな。大好きである。シュ・シャオメイは楽譜を素直に音にしてみましたという感じがよい。
Sonates Hayden

Sonates Hayden

シューマン交響曲第三番 op.97 で、指揮はジュゼッペ・シノーポリ、シュターツカペレ・ドレスデンNML)。すばらしい演奏だった。シノーポリ最高。
Symphonie

Symphonie

 
夕食後寝てしまう。深夜起床。


図書館から借りてきた、小川剛生『兼好法師』読了。すごくおもしろかった! 兼好法師はもちろん『徒然草』の作者であるが、著者は兼好法師に関する旧説を完膚なきまでに批判してみせる。これは誇張ではない。本書に拠れば、在来の兼好法師像を一変させざるを得ないのである。在来の兼好像はすぐれた国文学者として名高い風巻景次郎の打ち立てたものであり、これまでそれが基本的に踏襲されてきたが、それがほぼ誤りであることがわかったのだ。兼好法師は公家でもなければ、神道の吉田家とも何の関係もない。もともと無冠位の「侍」であったのである。それが、鎌倉時代末期から南北朝期の激動の時代を生き抜き、二条派の「和歌四天王」のひとりにまでなったのだ。『徒然草』は、その途中のエピソードなのである。
 もちろん本書の考証を詳しくここに書くことはできない。その過程は非常におもしろいので、是非本書に就かれたいと思う。著者は自分より多少若い学者であるが、明らかに実力者で、また筆の力もあり、本書は堅い本ではあるが読み始めたらなかなかやめられないほどである(自分は一気に読了させられました)。考証過程で、その時代の有り様が彷彿されるところがしばしばあって、そういうのもまことにおもしろかった。例えば、天皇の住むはずの「大内裏」というのはいかにも壮麗なイメージがあるが、じつは当時の朝廷にはいわば「オーバースペック」で、つまりは大きすぎて維持できず、荒れ果てるに任せられていたのである。実際に天皇の住んでいたのは、臣下と同様の屋敷である「里内裏」といわれるもので、なかなかにショボいものであった。また、そこでの「儀式」なども、一般人が覗き込むようなものであり、実際にそれ(見られること)を前提として行われていたらしい。このような記述を読んでいると、日本における「天皇家」の存在というのは、じつにチープでへんてこりんなものであったと気付かされる。ヨーロッパの絶対王政の壮麗さなどとは、到底比較することなぞできないのだ。(ただし、ヨーロッパの王政も当然「見られるもの」ではあった。)
 本書の最後はなにゆえに兼好が吉田家に関係するとされてきたかの解明であるが、これも呆れた話であった。神道における吉田家というのは、そもそもさほど重要な存在であったわけではなく、本書に拠れば室町時代吉田兼倶が、文書類を多数偽造して成り上がったものである。その際、各時代の著名人たち(藤原定家を始めとする新古今歌人たち、僧日蓮など)が吉田家に不当に関係づけられていったのであるが、死後『徒然草』の作者として有名になりつつあった兼好も、それに組み込まれたわけであった。おそらく兼倶も予想しなかったほどそれはうまくいき、兼好に関しては500年以上もそれが信じられてきたというのである! 考証過程は(もちろん素人目にではあるが)じつに綿密で、おそらく基本的にこれが覆されることはあるまい。これだけでなく、本書の考証は総じて見事なもので、大変な実力が感じられる。例えば『太平記』の取り扱いとして現代の「学習歴史マンガ」に喩えてあるなど、これは簡単に言えることではない。和歌の流れとしては現代では評価の高くない二条派(兼好法師はこれに属する)の評価も、自分には勉強になるものであった。
 なお、『徒然草』本文に関しては著者が注釈したものが最近角川ソフィア文庫に入っているそうであり、これも是非見てみたくなった。日本の古典をこのところ読んでいないしな。ひさしぶりに『徒然草』を読んでみたい。(AM03:22)