伊藤比呂美編『石垣りん詩集』

休日(こどもの日)。晴。
よく寝た。起きた時の顔がひどい。下らぬことばかりやっているからな。


バッハのトッカータ ハ短調 BWV911 で、ピアノはマルタ・アルゲリッチ。ピアノで弾かれたトッカータをもっと聴きたいのだが、なかなか録音がない。グールドのがあるじゃないかといわれようが、そりゃグールドはすばらしいけれども、他の選択肢も欲しいじゃないですか。ペライアあたりが録音してくれないかとも思うが、あんまりペライアが好きそうなのでもないしなあ。リヒテルは 0?


武満徹の「ブライス」。何だ、もう終ってしまったのという感じ。この倍くらいの長さがあればいいのに。そもそも武満の曲は俳句みたいに短いよね。


 

もう時期としてはお終いなのだが、庭のキンカン(金柑)の実を齧ってみたら甘くてじつにおいしかった。口の中に柑橘系の香りがわっと広がる。もうお終いだからこそ、甘さが凝縮されているのだ。そのあたりのスイーツとやらよりおいしいくらいですよ。
右の写真は白の芍薬シャクヤク)。牡丹とか芍薬とか、すぐに終ってしまうな。
庭にはチョウが飛び交っている。ふつうのアゲハチョウが好きだ。いや、年中いるモンシロチョウもいいですよ。田舎家なので、何もしなくても鳥はいっぱいくるし。それから、運転していて信号待ちでもしていると、ウチのあたりではツバメの舞うことといったら。ツバメも大好きである。昔の特急の名前に使った気持ちがよくわかる。かっこいいのだ。


石垣りんを読む。まとまったものを読むのは初めて(後記:そういえばハルキ文庫版詩集を読んでいる筈だが、呆れたことに何も覚えていない)。何というか、石垣りんというと庶民の生活の中から、日常を誇張せず女性の生き様を歌った、ポジティブな詩人というようなイメージがあったのだが、予想は見事に裏切られた。これも何というか、石垣りんは人生にも、人間にも何も期待していない詩人だということが痛いほどわかった。そして感銘を受けた。さても、石垣りんは、自分が人生というものに、人間というものに絶望していることを知っていたのだろうか? いや、詩人がそんなことに気づかない筈がないだろう。ただ、詩人はそのことをバカにはわからないようにうまく隠したと思う。そして人生に絶望しつつ、ふつうに当り前に生きていたにちがいない。たぶん、自死しようなど、思ったこともなかっただろう。それこそが、我々ふつうの庶民の生き様ではないのか。続けて読む。

伊藤比呂美編『石垣りん詩集』読了。伊藤比呂美さんの解説は最高。読み方は自分とまったくちがうが、石垣りんスゲーって気持ちがよく伝わってきて、うんうんと思ってしまった。まあ僕は、石垣りんさんの「人間クソだろ」っていうところに反応しすぎるのかも知れない。伊藤比呂美さんをパラフレーズすると、「家」ってのは最低だとはっきり言った詩人は石垣りん以外にいなかったのではないかと思われる(そんなことはない?)。それから、結婚しなかった石垣りんは自分の「乳房」について歌うが、自分もときどき自分のちんこについて思うので、男女のちがいはあるがよくわかる気がした。そして、いつかは死んでなくなってしまう自分の体に思いを馳せるが、その感覚もとてもよくわかる。とにかく、何もかもわかりすぎるくらいわかる気がした。たぶんそれはかん違いなのだけれど、そういうのはよいかん違いなのである。

石垣りん詩集 (岩波文庫)

石垣りん詩集 (岩波文庫)

ゆきずりに猫を愛撫した
小雨が煙るように降る
夜の十時
人気ない小路で猫を呼び
猫をひきよせ
お前もさみしかろう
と語りかけた
猫はついてきた
けれど門口までくると
家に上げるわけにはゆかない
それには理由がある
(いつだって
そういう時には理由があるのだ)
どこかで誰かが
百まんべんも聞いた言葉
私はかけこんで戸を立てる
拒絶された猫が
しばらくないて泣きやまない
ガリガリ爪をたてて
なきながらひっかく
さっきのやさしさ
あれは何だったのか
教えて下さい

 

ドラゴンクエスト1」をやる。王女も助け出したし、ダンジョンで「銀の竪琴」も入手したぞ。さて、次は何だ。まだ確かめていない情報に当たろうか。しかし、城の地下室とは何だ…。
20180505230802
 
ひさしぶりにツイッターを見てみたが、吐きたくなるほど気持ちが悪い。くさい。どれだけ見ても慣れない。もう情弱でもいいのではないかという気がしてきた。ナイーブなわたくしをお笑い下さい。しかし、何でお前らそんなに物知り君なの? 何でそう訳知りでエラソーなの? 何でそう汚物をまきちらして、また他人の汚物に塗れて平気なの? 現代人、すごすぎるでしょ。