たかとう匡子『私の女性詩人ノート』

曇。


ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第四番 op.7 で、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテル
 

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第三番 op.12-3 で、ヴァイオリンはヴィクトリア・ムローヴァ、ピアノはチャールズ・アブラムービック。録音のせいか、ちょっとピアノの音が大きいかな。あとは好演。

昼から雨。

たかとう匡子を読む。左川ちか及び、ちかと対比されて語られる江間章子、藤田文江についての文章があまりにもおもしろい。もったいなのでここまでで休憩することにした。それにしても、左川ちかはかつて図書館で借りて読んだが(参照)、どうも手許に置いて繰り返し読みたい気もする。どうしようか。

通院治療。今日は治療はすぐ終ったのだが、会計が混んでいた。帰りは本格的な雨の中。こんな雨は何日ぶりだろう。
昨晩 sinatra で遊んでいたので、自宅サーバに対して病院の Wi-Fi サービスからアクセスしてみた。(以前、プライベートIPアドレスの固定とポート開放をおこなっていたので、それを利用した。)つまらぬものなのだけれど、インターネットを通じて自分の部屋にある PC にアクセスしているというのは不思議な感じ。何だかすごい時代になったなと思う。


図書館から借りてきた、たかとう匡子『私の女性詩人ノート』読了。本書の続編を先に読んで(参照)、是非本書も読みたいと思っていた。正直言って驚嘆する思いである。自分は著者のことは何も知らない。神戸在住の詩人であり、私の母よりも年上であるということなどを、本書記載の経歴から知ったくらいである。Wikipedia にもいまのところ大した記述はない。しかし、本書の評論の的確さ(と自分に思われるもの)には驚かされた。自分は詩というものについてもよく知るところがないが、著者の批評眼は対象を正確に射抜いているように思える。また、引用される詩の質の高さ。本書で扱われた十四人の女性詩人のうち、自分がかろうじて知っているのは与謝野晶子、左川ちか、茨木のり子、多田智満子くらいのものであるが、恐らく現在では入手し読むこともむずかしそうな詩人たちが読みたくなって困るほどだ。世の中にはまだまだ隠れた(?)優れた書き手がいるものだと思わされた。詩の好きな人には、本書の続編も含め、是非読むことをお勧めしたいと思う。図書館での偶然の出会いというものは、馬鹿にできないものであるな。

私の女性詩人ノート

私の女性詩人ノート

しかしつくづく思ったが、自分には「人生経験」というものは極小ですね。本当に「人生」というものがわからない。本書のような優れた書物を読むと、自分には「人生」を云々する土台が欠けているように思えてならない。

私は茨木のり子の詩が本当に好きなようだな。本書の茨木のり子の項を読んでいて、自分の中で何かが泣いているような感じがした。何が自分の心をゆさぶるのか、私にはよくわからない。「戦後詩」の書き手として自分に直ちに連想される詩人のひとりである。

古いゲームで遊んでみた(齢がわかる笑)。昔ゲーセンでは操作はレバーだったが、ゲームパッドはまったく苦手。ヘタすぎる(笑)。