晴。
寝る前に中沢さんと井筒先生を読んだせいか、起床前にいい夢を見る。これだけ長い部分を覚えている夢はひさしぶり。しかし起きてみると、いまだに底の方にきたないものが澱のように沈んでいることに気づく。ネットの汚さである。こういうのを自分の個性だとかん違いしている人が少なくないのではないか。
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昼からカルコス。いつもと同じくちくま学芸文庫をゲットしたあと、コンピュータ書のコーナーへ。あいかわらず Python 本の出版ラッシュで Python の勢いがすごい。やっと出た新刊の Ruby 本をもう一度立ち読みしてみるが、迷ったものの買わずに済ませる。Python で機械学習(ディープラーニング)という本はたくさん出ているが、Ruby では一冊もなし。入門書以外の Ruby 本が出なくて、やはりいま Ruby の人気は落ちているのだなと実感する。これは Ruby そのものよりも、Ruby on Rails が緩やかに凋落しているせいであり、この現象はアメリカで特に当てはまるらしい。日本の Ruby のコミュニティ自体はそれほど悪い状況でもなさそうで、Ruby コミッターの方たちも活発に開発しておられるのがツイッターなどからもわかる。自分は RoR はまったく関係がないし、RoR 以外のところでおもしろい本を待っているという感じ。
それから、「群像」で始まった中沢さんの連載を立ち読み。ついに「レンマ学」の連載が始まって少し興奮している。いまや分析的な理性である「ロゴス的理性」の複雑化はとどまるところを知らず、AI などはその最先端であろう。近代の「ロゴス的理性」は至るところで限界にぶち当たっており、その退廃(=過剰な隆盛)が世界を覆っている。中沢さんのいう「レンマ学的知」というのは「ロゴス的理性」以外に人類に普遍的に備わっているが、いまやそれが陽に注目されることはほとんどない。「レンマ学的知」は包括的で直感的な知であり、中沢さんによってそのような名前が与えられたのは最近であるが、中沢さんが若い頃から繰り返して語っていることでもある。因果ではなく縁起によって働く知。中沢さんは今回これをさらに深化させ、華厳仏教を南方熊楠によって読み解くという展開になるのかなと予想される。かつては「レンマ学的知」というのは「東洋的思考」という形で先人たちによって言及されてきたことがあるが、もはやそれは東洋でも急速に衰退しつつあり、世界を「ロゴス的理性」が覆い尽くそうとしている現在、「西洋対東洋」という枠組みは既に存在しないといってよい。それゆえ中沢さんは、「レンマ学」という、新しい言葉を日本のある学者から取り入れたということである。連載が楽しみでならない。
ネットを見ていても、若い人たちにおける全面的な「ロゴス的理性」中心主義の支配はまぎれもなく、もはや屈託がないくらいである。それは、ツイッターなどをささやかに見ているだけでも紛れもないことだ。世界を一元的な「正義」が覆い尽くそうとしている。
なお、急いで注記しておくが、これは「レンマ学的知」=善、「ロゴス的理性」=悪というような話ではない。これは強調しておく。
それにしても、自分の無力がはがゆい。つくづく凡庸さを痛感させられる。少しでも巨人たちの跡を追うことができればと思う。
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ジャック・デリダ『歓待について』読了。
- 作者: アンヌデュフールマンテル,ジャックデリダ,Jacques Derrida,Anne Dufourmantelle,廣瀬浩司
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2018/01/11
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