若松英輔『叡智の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』

晴。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十六番 op.135 で、演奏はオライオンSQ。

尹伊桑の交響曲第二番。演奏者は不明(岩城宏之?)。尹伊桑は声の出処が特異で、それがまずおもしろい。ラディカルでシリアスなのもとってもいい。まだ繰り返し聴ける魅力があるかどうかまではわからないのだが、いずれにせよ尹伊桑はこれからも聴くことになろう。

シベリウス組曲ペレアスとメリザンド」op.46 で、演奏はレイフ・セーゲルスタム。シベリウスは通俗だと思っておられる方がいるかも知れないが、自分にはとってはそれどころではない。僕にはシベリウスの音楽はかなりむずかしく感じられる。何よりも声の出処がわからないというか、自分には到達できていない。それに、ときどきふっと音楽の危険な領域に触れている感じがする。この曲もそういう印象だった。この演奏からは多くのものを学ばせて頂いた。

夕方、県図書館。SHADEさんに教えてもらったアレックス・ロスを借りようと思ったら貸出中だった。あらかじめ調べて予約しておけばよかったな。同じ著者の別の著作を借りてみる。何だか偶然若松英輔がよく目についたので何冊か借りてきた。県図書館にいるといつも、閉架まで自由に見られたらなと空想する。閉架の書物はコンピュータで検索できるが、こんなのでは何も見つからない。まあ無益な空想なんだけれどね。
外はすばらしい日和で、運転していて気持ちがよい。女の子たちが薄着になってきたのもいい感じ。っておっさんですね。

図書館から借りてきた、若松英輔『叡智の詩学 小林秀雄井筒俊彦』読了。充実した読書だった。若松英輔は自分と同い年の優れた批評家である。精神の高みだけを経巡った書物で、心が洗われるように思われた。いまや小林秀雄井筒俊彦も読む人はさほど多くあるまい。源一郎さんによると、いまの大学生に本を読ませると、誰も感心しない唯一の文学者が小林秀雄だという。センセイ、この人なんでこんなにイバってんの? みたいな感じだそうである。ましてや、まあ源一郎さんは大学生に井筒俊彦なんか読ませないと思うが、読ませたとしても結果は見えている。正直言って本書の高みがどれほどまでに達しているか、自分には見えてこない。自分の未熟さだけは腹の底からわかったが。たぶん、僕などはまだ歩き始めたばかりなのだろうし、大したところまでも到達できないことは予感している。本書で唯一懸念されることがあるとすれば、著者の魂があまりにも上空にあることだ。例えば下らない猥雑なインターネットの世界など、著者の関与するところではあるまい。もちろんそうした高貴な人は居るべきであり、我々はそれでとりあえずは安堵することができる。これからも若松英輔には期待したい。そして自分も凡人なりに、コツコツとやっていきたいものだ。

叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦

叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦

これまで若松英輔が読まれてきたのか知らないが(たぶん読まれていないだろう)、これからも滅多に読まれることはないと思う。これほどの人が皆んなわからないのだな。少なくとも、若松英輔はさかしらな人ではない。