吉本隆明『写生の物語』

曇。夜雨。

モーツァルトのピアノ・ソナタ第四番 K.282 で、ピアノは Luwen Chen。悪くはないのだけれど、もっと表情が欲しい。終楽章はなかなかよいのだが、致命的なミスタッチがいくつかあるのが残念。

ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲第三番 op.73 で、演奏はボロディンQ。アイロニーと鎮魂の曲。僕はこの曲を聴くと、死神の音楽化というのはこういうものではないかと空想してしまう。このような文学的表現に意味があるか疑問ではあるが、個人の空想としてなら許されよう。ショスタコーヴィチのすべての弦楽四重奏曲は、死者のために書かれたと言っていいのだから。演奏は、超一流とはこういうものであろう。ボロディンQのショスタコーヴィチ全集をお持ちでない方は、是非聴いてみられることをお勧めする。

ドビュッシーの「映像」第一集で、ピアノはダニール・トリフォノフ

坂本龍一の「async」を聴く。
色いろなことを考えた。死のこと。バッハとブラームスシューベルトの「冬の旅」とマーラー西洋音楽パラダイムを突き詰めた上での「非同期」と、東洋思想。ノイズの甘美さについて。人類はピークを過ぎたのではないかということ。あとは、いま自分がむずかしいところにいるということについて。なかなか中心点のようなものが見つからない。やはり中心点がないと、不安定ではある。それにしても、現代においてまだクリエイティブたることが可能であるということ。やはり坂本龍一である。

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ジェイコブズの教訓:強いアマチュアと専門家の共闘とは | 山形浩生
山形浩生氏の感動的な文章である。いつも書くとおり自分は山形氏があまり好きではないし、またいずれにせよ自分はただのカスなのではあるが、それにしても山形氏はえらい人だ。素直にそう思う。若い優秀な人たちは、是非山形さんの文章を読んで拳々服膺するといい。こういう人こそが真のエリートなのだ。自分にはあまり関係ないにもかかわらずである。
吉本隆明『写生の物語』読了。吉本さんにこんな本があったのか。まったく知らなかった。本書の内容を語るにはあまりにも自分は無知であるが、本当にこのところ自分はカスであることに飽きてきた。本書は自分の心に沁みとおったのであり、もう少しでも本書のような本をより感じ取れるよう、精進したいものだとつくづく思う。それにしても細やかで筋の通った和歌・短歌理解であり、いままでこのように斬新に短歌を語った文章を自分はかつて他に読んだことがない。引用と読解の連続を目で追いながら、自分のような文学音痴でも、これならわかると思い続けた。どうして誰も吉本さんをバカにするのですか。軽視するのですか。あるいは読まないのですか。これはそんなに時代遅れなのですか。それとも大したことがないのですか。どうも自分にはよくわからない。何もわからないのだ。お前ら何がわかっているのと聞きたい。
写生の物語 (講談社文芸文庫)

写生の物語 (講談社文芸文庫)

『フランシス子へ』の文庫解説は中沢さんなのか。これは読んでみたい。