こともなし

晴。


ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」で、ピアノはヴァルター・ギーゼキングギーゼキングというのはおもしろいピアニストだな。これ以上ザハリッヒな演奏は考えられないくらいで、曲に対する思い入れとかまったく感じられない。けれどもそれが決してつまらないどころではないのだ。何か、音楽が絶対的な形で立ち上がるというか。こんなピアニストは現代において出ようがない感じがする。


ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十六番 op.81a「告別」で、ピアノはヴァルター・ギーゼキング。うーん、これはさすがにやりすぎ。機械の演奏みたい。終楽章なんてテンポが速すぎて、ダダダダダと機関銃で射撃しているみたいだ。まあおもしろくないことはないけれど。かなりテキトーに弾いていると思う。それから曲の表題の「告別」だけれど、les adieux ってのはつまりは「さよなら」ってことだよね。「告別」だと死んでもう会えない感じ。終楽章でふたたび会うのだから。


バッハのトッカータ ハ短調 BWV911 で、ピアノはヴァルター・ギーゼキング。これを聴くと、クラシック音楽が聴かれる限りギーゼキングは聴き続けられるだろうし、そうであるべきだと思うね。巨人のひとりであることは疑いない。


モーツァルト交響曲第二十九番 K.201 で、指揮はクリストフ・コンツ。この曲がきらいな人ってちょっと想像しにくいな。いい曲。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から電話がかかってきた。何かと思ったら丁寧なお礼と活動内容の報告だった。本当に資金が足りないようで、本音はさらなる継続的な支援をしてくれという意味合いなのだろうが、わざわざ電話とか大変だなと思う。まあ自分ははっきり言ってお金があまりないのだが、貧乏人は連帯した方がいいとマジで思っているので、自分の昼飯一食ぶんくらいの連帯ならできないことはない。これが現地だと、だいぶ多くの人の昼飯になるらしい。しかし思うが、我々はただ生きていくだけで大変ですね。自分はそんなに生きていたいわけでもないしな。早死したいわけではまったくないけれども。こういうことを言っていること自体、恵まれているということであろう。

複数の人間が仲良く暮らすというのは、じつにむずかしいことなのだな。他の民族、他の宗教、他の国家というだけで、我々は他人を排斥する。かつては自分が散々弾圧されてきたのに、今度は他人を拒絶・弾圧する。まったく中世の仏教が認識していたとおり、現世はある意味生き地獄なのだなと実感する。どうして、誰もが最低限の平和な暮らしをふつうに送ることができないのか。どうしてこんなバカみたいな素朴な疑問が解決されていないのか、わけがわからない。

昼から仕事。

明け方まで Lisp のお勉強。最初は関数型プログラミングのお勉強をしていたのだが、そのために竹内先生(日本を代表する Lisper として知られる)の本を読んでいたらおもしろくなってしまったのである。純粋な関数型言語である Haskell などもおもしろいが、「不純な」Lisp ってのは思っていたよりもはるかにおもしろい。プログラムにせよデータにせよ「リスト」なのだとは、どこからそういう発想が出てきたものか。Lisp だったら何でも書けるのではないか。まあ括弧だらけなのですけれどね。あと、竹内先生の本は一応 Common Lisp に準拠しているけれど、Scheme とどっちがいいのだろうかとか。

初めての人のためのLISP[増補改訂版]

初めての人のためのLISP[増補改訂版]

なお、この本は相当にクセがあるので、これを Lisp のお勉強の教科書にしてよいものかわからない。でも、とにかく愉快な本なんです。というか、昔の大先生はすごい個性だ…。

つい「昔の」なんて書いてしまったけれど、いまでもこんな人はいないよ。それこそネットで検索すれば竹内先生の凄さは一目瞭然。竹内先生にせよまつもとさんにせよ、日本を代表するハッカーは人間としてもユニークなのがおもしろい。お二人とも不思議な人…。それに比べると、弾さんなんかは頭は切れるのだが、ちょっと小粒な感じもする(って弾さんももちろんすげーけどね。自分などはいうまでもなくカス)。

ちなみに竹内先生は、「Ruby は要するにカッコのない Lisp」と言っておられる。Rubyist としては、気のせいかも知れないけれど何だかウレシイ…。