ハルキ文庫版『高村光太郎詩集』

曇。


ベートーヴェンの「32の変奏曲」ハ短調 WoO 80 で、ピアノはアレクシス・ワイセンベルクワイセンベルクはグールドの好きなピアニストだったというのが不思議な感じである。確かに射程は大変に長いけれども、いつもお化粧をしたピアニズムなのだけれどね。まあこれだけの技術があって、さらにお化粧をする余裕があるのは驚くべきではある。


ベートーヴェン交響曲第六番 op.68 で、指揮はフランツ・ウェルザー=メスト。速めのテンポの凡庸な演奏。ロンドン・フィルも弦の響きがクラく、すっきりしない。何をしにわざわざ日本までやってきたのか。そしてまた、個人の自由ではあるが、これでブラボーを叫ぶのがいたりとか。この曲、いい演奏だとホントに至福の状態に至れるのだが。まあ、自分が絶対に正しいと主張するものではありません。


武満徹の「ピアノと管弦楽のための弧 第2部」(1966)で、指揮は岩城宏之。挑戦的。武満は覚醒させるな。

昼から仕事。

ツイッターを見ていたら気持ち悪くなってきて吐きそうになった。どうしてだろう。見るのを止めたらおさまった。

ハルキ文庫版『高村光太郎詩集』読了。『智恵子抄』や『道程』はこれまで何度か読んでいるので、それらからは知らない詩はなかった。本書に収められた詩はかなり多く、『智恵子抄』『道程』以外からの詩が特に興味深かった。特に高村光太郎の戦争協力詩が読めたのはよかった。これらを収めたのは英断だったと思う。巻末の瀬尾育生氏及び道浦母都子氏の解説はなかなか読み込んでいて参考になった。また、自分にとって高村光太郎の詩というと吉本さんの高村への傾倒が思い出される。吉本さんは高村を高く評価するのだ。しかし、正直言って、自分には高村光太郎の詩のほとんどは読むに耐えない気がする。こういうことを書くのは恥ずかしいのだが、自分にはどうも貧乏くさいというか、ダサいとどうしても感じてしまうのだ。まったくひどいですね。もちろん自分は高村詩の強度を認めるし、歴史的にもそれらは重要であると認めるが、どうしても列強に追い付け追い越せの貧しい日本が連想されてどうしようもないのである。しかし、これは自分でもまったく理不尽な評価であると思う。つまり、現在の日本の位置、つまり世界の大国として一応は認められた豊かな日本は、有名無名の多くの高村たちの努力の末に獲得されたものであるからだ。我々は高村はダサいといいながら、のんべんだらりと便便たる太鼓腹を打っているにすぎない、ただのカスどもである。恥ずかしい話だ。慙愧に耐えない。

高村光太郎詩集 (ハルキ文庫)

高村光太郎詩集 (ハルキ文庫)