こともなし

晴。


シューベルト弦楽四重奏曲第十三番 D804 で、演奏はハーゲンQ。これはまた随分と皆んな若い頃のハーゲンQだ。この曲、終楽章は長調だったのだな。いわゆる「ロザムンデ」四重奏曲。


ショパンスケルツォ第一番 op.20 で、ピアノは小林愛実ショパン・コンクール予選での演奏。この人、いま世界の若手人気ピアニストの平均と比べると、多少技術の切れ味が劣るのがあまりにも惜しい。音色がちょっと地味だし(音色は技術に大きく左右される)。でも、ホントにユニークで才能のあるピアニストだな。子供の頃から世界中にファンがいるくらいで、それも当然だと思う。どこか地道なレーベルが契約して、色いろ録音させるといいのに。でも、いまの時代ではこういうピアニストはどうしても埋もれがちかもな…。

自分のツイッターは自分と意見が近いひとも遠いひとも両方とも少なからずフォローしているのだが、自分はパヨクだけれども、いわゆる「リベラル」っぽい人たちの劣化ぶりには絶望したくなる。特に、いまでも「アベノミクスはまちがっている」とか言っている人たち…。どうしてこういう人たちは、勉強もせずに自分のよく知らない概念についてもっともらしいことを言って勝手に納得しているのだろうか*1。数字とかグラフの使い方もめちゃくちゃで、いかにも数字を挙げて説得的に見せてはいるのだが、お話にならないのである。もちろんこういう愚かしい意見のどこがまちがっているか、丁寧に説明しているツイートもたくさんあるのだが、そもそも彼ら彼女らはそういう人たちをフォローしていないし、だいたい思うのだが、どうも人は自分とはちがう意見だとそれだけで内容が頭に入らないのですね。つまり、自分に近い意見だけ読んでいるという。それに、自分の実感そのものは結構であり、それがファクトのひとつであることは当然だが、またファクトのひとつにすぎないことも明白だ。自分の実感は大切だけれども、それですべてを切ることはできないのである。
 きちんと勉強する。論理的に考える。これだけのことだが、これがじつにむずかしい。特に、いまのような「専門家の時代」になると。正しく判断するには、専門家並の能力が必要とされてしまうので、まあ実際にはそれはホントにむずかしい。せめて、自分とは異なる意見のひともフォローするとか、そういうことをしないとただの困ったひとになってしまう。これは自戒でもあるが。

ツイッターは頑張って見ているのだが、もうやめた方がいい気もする。あまりにもダメージが大きい。坂本龍一さんはかなり昔からツイッターをやっておられたが、もうやめたそうだ。自分も見ていると、時間を食われるし精神の健康によくないし、何で皆んなこうツイッターをやっているのかとつい思ってしまう。まあ、もう少し頑張りますが。

しかし思うが、意見のちがう人を説得するとか、まず不可能なことではないか。たいていの人は、どうしても説得させられざるを得ない事態に陥ると、むかついたり、怒り出したりするくらいである。これは自分を省みてもそう思う。「事実」なんか、何の役にも立たないのかも知れない。


これまでほとんど興味がなかったので書かなかったが、ついでなので書いておこう。いわゆる「加計学園問題」についてである。これは pro 安倍と con 安倍で主張のボタンが掛けちがっている。con 安倍の方の主張は、安倍首相が加計学園理事長と友達なので、おそらく獣医学部新設に安倍首相の「意向」が働いていたにちがいない、これは不正だ*2というものである。それに対し、pro 安倍の方の主張は、そのようなことはあり得るはずがないものだし、そのような(con 安倍側の)主張は推測にすぎず、証明のできない「言いがかり」にすぎない、というものである。僕がこの問題に興味がないのは、まあそもそも自分にはどうでもいいことだからであるが、とにかくこの問題がにっちもさっちもいかないからでもある。なるほど、筋がとおっているのは(残念ながら)pro 安倍の方である。con の主張は確かに推測で「言いがかり」にすぎず、証明することはできない*3ものである。しかしまた、それは con 安倍の主張が事実としてまちがっているかどうかには関わらないのでもある。「言いがかり」が正しいこともあるし、自分はこの場合、そうであってもまったく驚かない。実際、委員会での質疑応答などをテレビで見ていると、あやしいにおいはぷんぷんする。しかし、やはり「『言いがかり』が正しいかも」というのは、常識的にちょっとまずい気がする。とにかく、どうしようもなくて、どうでもいいのである。しかし、このような自分の態度は、どちらの側からも指弾されるであろう。何だかなである。

で、バカな自分の基本的態度をいうと、とにかく自分は安倍首相の顔がきらいである。ホントにわたくしはバカとしかいいようがない。だから、このような自分のいうことは、当然信用されないであろう。当り前だな。

何かあとから読むとエラそうなことを書いたな。しょうもな。

しかし


リスペクトする飯田先生もバカと話すのは時間のムダという人なのか。バカに対して愛がないのね。あーあ、俺も中年半ばすぎていまだにバカなんすけどね。ツイッター無情。

それからこんな記事。
僕も人を教える仕事をしていると、この事実には気づかされる。生まれつき足が速い人がいるように、生まれつきかしこい人もいる。逆に、なかなか努力がむくわれない人もいる。それにしても、「頑張っても伸びない人は、早くあきらめて道を変えた方が合理的」というのは、真実にしてもあまりにもきびしい。何だか、真実とわかっていても割り切れないものを感じる。確かに、幸せになりたかったらそうするのが合理的なのだが。


ブラームスのピアノ協奏曲第一番 op.15 で、ピアノはクン=ウー・パイク、指揮はエリアフ・インバル。クン=ウー・パイクというピアニストは初めて聴くが、かなりの力量をもっていることは明らか。たぶん、既によく知られたピアニストにちがいない。


ブラームス交響曲第三番 op.90 で、指揮はアラン・ギルバート。

*1:言っておくが、自分は「アベノミクスは完璧である」と言いたいわけではない。「アベノミクスはおおよその方向性として、全体的に見て経済学的に正しい」と言いたいだけである。また、アベノミクスは確実に日本経済を好転させ、それは提示された中ではベストの方策であった。アベノミクスは完璧ではないが、これ以上の施策は提示されていない。これは経済学的には否定できない事実である。自分個人に好景気の実感がないとか、そんなことはここでは関係ない(自分の財布の中身が乏しいからアベノミクスはまちがっているとかいう人が少なくないが、まあ気持ちはわかるけれども、それは自分の主張するところとは関係がない。実際、僕の財布の中身も乏しい。同様に、自分の財布の中身が豊かだからアベノミクスは正しいというのも、自分の主張するところとは関係がない)。しかし、そもそも自分は政治的には反安倍なので。

*2:なお、仮に安倍首相の「意向」が実際にあったとしても、それだけでは犯罪にはならない。なので田中秀臣氏などは、それで何の問題があるのかという。さて、そうだとして、道義上は問題ないのか。それは自分は知らない。田中氏は「道義的責任もない」とする(参照)。田中氏の議論が論理的に首尾一貫していることはまちがいない。しかし、それならそうと首相もそうはっきり言えばよい。なぜそう言わないのか。首相が言えないことを、田中氏が先回りして言ってみせても仕方がない気がするが。首相はそのような「意向」はないとはっきり言ったのだから。

*3:というか、そもそもの発端となった、朝日新聞に掲載された文書の真偽で、ことは決ってしまうのである。しかし、既にこの文書についてはいまや忘却されているように見える。この文書が本物であれば首相は少なくともウソをついたことになるし、そうでなければ朝日新聞民進党による文書の捏造すら疑われることになる。つまり、この文書の真偽がクリティカルである。そして、現在それがはっきりしていない以上、事実は藪の中というしかない。