出村和彦『アウグスティヌス』

晴。


ハイドンのピアノ協奏曲ニ長調 Hob.XVIII-11 で、ピアノはエミール・ギレリス、指揮はルドルフ・バルシャイ。ギレリスがいま聴かれているのかよく知らないが、自分には決して無視できないピアニストである。ただ、ギレリスがどういうピアニストであるが、まだはっきりと述べることができない。音はどちらかというと冷たく、技巧は完璧。しかしそれだけではどうも尽くせていない感じがする。

昼から県営プール。

だらだらと二時間くらいツイッターのタイムラインを見ていた。ひまつぶしに TL 見て、時々リツートする。やっぱりいまはコレですね。それはそうと、昨日テレビで「シン・ゴジラ」放送されたの? 何だかそんな TL になっているのだが。
なお、僕は読んでいてムカツク奴(特に知識人)も結構フォローしています。

このところ車内ではピリスの弾くモーツァルトのピアノ・ソナタ(DG盤)を聴いている。ピリスはそれほど深い人ではないが(K.310 とかを聴いているとよくわかる)、BGM として聴くにはちょうどいい。音楽に没頭してはあぶないからね。清潔なところも悪くない。


 

わははは、トランプ大統領、正直すぎるだろう。って、ネタだろ? おれフランス語は読めないけれど、マジで安倍首相の名前が出なかったの? この記事に書いていないだけじゃなくて…? しかし、少なくともこのフランス語記事を書いた記者が、安倍首相のことを忘れていたのは確かだが。


出村和彦『アウグスティヌス』読了。副題「『心』の哲学者」。副題に「哲学者」とあるが、どうしてなのだろうね。本書はなかなかおもしろかった。『神の国』は随分昔に読んだが、いまでは何も覚えていない。『告白』はこれは絶対におもしろいよ。『三位一体』は読んでみたい。本書を読むと、小著もおもしろそうだ。岩波文庫あたりが適当なアンソロジーを出せばいいのに。
 本書にはそういう記述はまったくないが、かつて読んだところではアウグスティヌスはおそらく黒人だったろうという。カルタゴ近辺の北アフリカの出だから、たぶんそうであろう。本書を読むと、ローマ世界がいかに広大であり、それが当時の「世界」のすべてだったかということがわかる。コンビニやスマホがないだけで、いまの世界とさほどかわらない人々の一生がそこにあったように思える。世界に新しいことはないのだ。そして、いま我々が生きている世界も将来は消滅し、すべては無に帰することは疑いない。不思議なものであるな。
 アウグスティヌスは、現代にあったら優秀な企業人になっていたかも知れないとふと思う。それくらい、有能なひとであった。そして最晩年は、自分の著作がすべて後世に伝わるよう、周到に準備していた。実際、アウグスティヌスの著作はほぼ完全な形で現代まで伝わっている。これもまた運命であろう。

アウグスティヌス――「心」の哲学者 (岩波新書)

アウグスティヌス――「心」の哲学者 (岩波新書)

アウグスティヌスが死の床に就いていたとき、彼がいたヒッポの町はヴァンダル族に包囲されていた。彼が死んだあとヒッポは陥落し、それから数十年で北アフリカカトリック教会は完全に消滅する。西ローマ帝国が滅びるまで、あとはそれほどの期間はない。その後、いわゆる「古典的古代世界」はおわり、暗黒時代とされてきた中世が始まる。現在は中世はかならずしも暗黒時代ではなかったという考え方が主流になったが、ローマ世界をよく知っている人からすれば、やはり五世紀あたりは混乱の時代であったことはまちがいないだろう。アウグスティヌスはよい時代を生きたことになると思う。しかし、その暗黒の五世紀頃でも、シドニウス・アポリナリスのような人がいたりしたのだから、人間のやることというのはいつになっても変わらないというべきだ。澁澤龍彦は繊細な詩人としてのシドニウス・アポリナリスを愛し、晩年の著作で何度か言及していた筈である。

そうそう、プロティノスの『エネアデス』を読まないといけない。手元には抄訳版しかないけれど。全部訳されているのですかね。
検索してみたらプロティノス全集が刊行されていて、県図書館に入っているのはいいのだが、第二巻だけないという謎…。