田中明彦『新しい中世』

日曜日。晴。
早寝遅起きというか、十一時間くらい布団の中にいたのではないか。まあ布団に入ってたぶん二時間くらいは寝付けなかったし、起きる前も二時間くらい半覚醒状態でうつらうつらしていた。まったく白痴化するのもそれはそれで容易とはいえない。
起きても三十分はぼーっとしていた。


モーツァルト弦楽四重奏曲第十六番 K.428 で、演奏はエベーヌQ。僕はこの曲は特に好きでもないのだが、エベーヌQの解釈はおもしろかった。軽めの、どちらかといえば斜に構えた演奏で、特に第一ヴァイオリンにその傾向が甚だしい。いうまでもなくモーツァルトの「ハイドン・セット」はモーツァルトが自分の殻を破ろうとした、彼が作曲に非常に苦労した曲集で、実際我々の知っているモーツァルトはここから始まると言っていい。ベートーヴェンに直結していくのもここからであろう。エベーヌQの演奏はそのことをリアルに感じさせる、ユニークなものである。意外とこういう演奏はこれまでなかった気がする。こう弾かれると、この曲もつまらないとはまったく言えないなと思った。


貴志康一のヴァイオリン協奏曲(1935)で、ヴァイオリンは数住岸子、指揮は小松一彦、東京都交響楽団。やー、かないませんな。貴志康一は初めて聴くが、やー、日本ですなー。以前ならダサくてはずかしくて聴けなかったであろうが、いまは自分も面の皮が厚くなった、特にどうということもない。しかし、自分はこれが日本の最良の可能性であるとはまったく思わない。確かにこれは消化しておくべきレヴェルであるが、さらに突き抜けていくべきレヴェルでもあろう。というか、これが日本なら、武満徹が出た意味はないし、またまったくちがう方向で細野晴臣のような人が出た意味もないであろう。で、貴志康一とは何なのかね。もう少し聴いてみなくてはなるまいが。

(田舎に人がいなくなろうが)地方の人間を「地方都市」に集中すべきというような意見を飯田泰之先生のような優れた経済学者も主張されるので、田舎に住んでいる人間としては複雑な思いである。確かに経済学的にはそれが「正しい」のであろうが、もはや「故郷」とか「ふるさと」というような思いというのは死んだとされるのであろうか。田舎に住むのはクソ? あーあという感じ。まーいーけどな。好きにしてくれというか。勝手に田舎とともに滅びさせてもらいますわ。

まあしかし、自分の住んでいるところは「自然にあふれたよき田舎」でも何でもないですけれどね。国道のロードサイドまで車で10分だし、すばらしい(奇跡的な)中型書店だってあるし。でも、いずれにせよ「地方都市」ではない。このあたりだと、つまりは名古屋に人口を集中させよってことでしょ? ちがいますかね。山奥に住むとかありえないって発想でしょ? 勝手なものである。山奥に住むとか、何の罰ゲーム?とかあったな。繰り返すけれど、僕は山奥に住んではいませんが。

それから、「地方の人間は日本の多様性の源」つーのも、まあ考え方はわかるけれど、これも何だかなである。我々は別に日本の多様性のために地方に住んでいるわけではないのですけれど。どうしてそういう発想しかできないのかな。我々はただ田舎に住んでいるだけである。

もしかしたらと思うが、東京の人って自分たちと日本をあまりにも同一視しすぎているんじゃないの? 日本は東京の人間だけで構成されているわけではないのですけれど。まあ「東京こそ日本」というのは、ある意味認めないでもないですが。その意味で、自分はあまり「日本人」であるとは強く思わない。

まあ東京人でも小林信彦さんみたいな人もおられるから、まあ十把一絡げにはできないのだけれど。しかし東京の人がみな小林さんみたいなら、またちがっていたのでしょうけれどね。これぞ都会人という感じがする。

昼から肉屋。カルコス。

双極性障害II型のひとのブログを読んで泣きそうになる。病に同情したからというわけではない(もちろんいつも同情はしているけれど)。生きていることそのことすらつらいのに、低賃金で毎日働かねばならない。そうしなければ生きてはいけないのだ。そのひとの貯金はあと二箇月で底をつく。死は身近だけれど、生きていても楽しいことはあまりないけれど、やはり死ぬのはこわい。
 そう、生きるというのは基本的につらい。自分はどう考えても恵まれているが。知らぬうちに、心を病んでいたり社会からドロップアウトしたりした人たちのブログを読むことが多くなっている。で、どうもこういうひとたちの感性こそ、現代においてまともだと思えることの方が多い。僕がつらつら思うに、現代において心を病んでないひとというのは、単に感性が鈍いからだとすら思えてくる。極論であろう。それはわかってはいるけれど。

僕は、どんなカスでも生きていていいと思う。それが許されるのが唯一の文明の進歩だと思う。

傲慢な同情だったらお許し下さい。

田中明彦『新しい中世』読了。副題「相互依存の世界システム」。