サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』

雨。

午前中、散髪。

曇。昼から図書館。市民公園の樹々がいい感じに色づいてきた。公園のまわりを走っている人たちがいる。
pha さんの本があったので借りてきた。

サミュエル・ベケットゴドーを待ちながら』読了。安堂信也・高橋康也訳。高橋康也氏のベケット本の手軽なエディションが出るという奇跡が起きたので、たまたま本屋にあった(このことも奇跡に近い)本書を読んでみた。この現代演劇の傑作を今ごろ読むとは、かなり恥ずかしいことであるにはちがいない。この白水uブックス版は、どうやら既に四年前に出ていたのだな。まったく知らなかった。もうね、本屋の海外文学のコーナーを見ていないのですよ。いかんなあ。しかし、いまでもいい本は出ているのだが、これはという海外文学本は高価すぎやせんかね。困るなあ。なお、その高橋康也氏のベケット本は残念ながら本屋にありませんでした。

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

 
夜、仕事。いまあんまり調子がよくないので、こういうときに仕事は気が紛れる。やはりいまの仕事をやめても、何かしないといけないだろうな。

あと、なんと『百年の孤独』を読んでいない。ごめんなさいごめんなさい、積読です。なんて例は無限に(?)ある。まあ読んでもすぐ忘れるのだが。碩学・河野與一大先生も、どうも読んだ端からすぐ忘れたというウワサだ。しかし、その河野先生の著書を読むと、なんつーかレヴェルがちがうので。コンスタンチノープルの書庫の文書に目を通しているとか(ちがったっけ?)、どうしたらそういうことができるものだろうか。河野先生は谷沢永一氏が繰り返し罵倒していたのが印象的である。谷沢永一氏はまちがったことを決していわないという、つまらない正義派だった。この人もえらいひとだが、いまではもう読もうとは思わない。まあ、他のひとが読みますよ。僕は開高健はいまだにリスペクトしているし、若い頃かなり影響を受けた。氏こそハードボイルドだったと思います。

あー思い出した。『アンナ・カレーニナ』も読まないといけないわ。厄介そうで先延ばしにしていたという。そうそう、ラブレーも読んでいない。エリアーデ幻想小説全集とか、どれだけ積読にしておくのだ。あーもうやめておこう。

お、県図書館にエリアーデ著作集が揃っているな。これは…。学生のとき買いたくてもとても買えなかったっけ。