こともなし

雨。
寝る時に意識が途切れるのが不思議な感じがする。また、起きたとき昨日の自分と連続性があるというのが奇妙な感覚。というか、大袈裟にいうと起きて自分は誰だろうみたいな感じ。死ぬというのは寝るのとはもちろんちがうのだろうが、どうしても死ぬってこんな感じなのかなと想像してしまう。意識って何だろうね。


バルトークの「二台のピアノと打楽器のためのソナタ」で、ピアノはアナトリー・ヴェデルニコフスヴャトスラフ・リヒテルヴェデルニコフリヒテルの共演。ヴェデルニコフバルトークというのは納得であるが、リヒテルバルトークはめずらしいのではないか。まだ曲がよくわからないので何ともいえない。


ハイドン弦楽四重奏曲変ロ長調 op.64-3 で、演奏はアマデウスQ。

ツイッターでタイムラインに流れる政治的意見を見ていると、自分の意見のつもりでじつは心の中には他人の意見しか入っていない人ばかりであると思う。そういう人は自分で考えたのではないから、いかに論理的に整合的な意見を見てもそれで自分の立場を変えることはあり得ない。というか、他人に説得されるとか、ほとんどの人には不愉快なことで堪えられないものである。自分を省みてもそうだと思う。
 しかしいまという複雑な時代にあって、そもそも真の意味で自分の意見を持てる人がいったいどれだけいるのか? 普通人には無理ではないか? 少なくとも自分にはいまのところ、今度の選挙ですらどうするのが適切な選択なのか、論理的に自分の考えを説明することができない。考えに入れなければならないことが多すぎるのだ。いまが専門家の時代であるというのも、また当然のことであろう。このところ自分は自分のやっていることが社会的に何の意味もないことを痛感せざるを得ない。まあそれでも、やれるだけのことは(無意味でも)やろうとは思う。ホントに無意味だが。

それにしてもツイッターというのは(いまさらだが)おもしろいメディアである。自分にとって、こんなに不愉快なメディアは他にない。正直言って、タイムラインを見ているといつも最初はおもしろくてどんどん見ていくが、次第に気が滅入ってきて、しまいには深く打ちのめされるということの繰り返しだ。まったく修行になる。

きれいに晴れた。ひさしぶりだな。

ミスタードーナツ バロー各務原中央ショップ。ポン・デ・リング+ブレンドコーヒー410円。ここのミスド、一箇月後に閉店するらしい。せっかくいいところを見つけたと思っていたのだが。やっぱりいまやミスドは流行らないのだな。しかしこれからどこへ行こうかな。イオン内のミスドはここより近いのだが、フードコートでちょっと落ち着かない。でもまあ、そこよりしかたがないか。
カヴァフィスの伝記を読む。
 
PC 遊び。