雨。
モーツァルトのピアノ・ソナタ第十二番 K.332 で、ピアノはフリードリヒ・グルダ。グルダは装飾音をつけて演奏するタイプのピアニストで、僕は基本的に元の楽譜に音符を付け加えるのはあまり好きではないのだが、グルダは別だ。ほとんど気にならないし、新鮮な感じがする。この演奏はミスタッチが多いのだが、それもほとんど気にならない。
僕のいけないところのひとつに、何でも独学でしかやっていないことがある。独学は他人と一緒に勉強するのに比べて、効率は10分の1くらいしかないのではないか。そこらあたりが、底の浅さだ。それに、ことは効率だけの問題ではない。
マーラーの交響曲第六番で、式はベルナルト・ハイティンク、シカゴ交響楽団。実力者ハイティンクの文句のつけようもない演奏。第三楽章がクライマックスで感動的だ。終楽章はこの難解な音楽が少しわかってきた感じ。ハイティンクは楽譜を丁寧に音にしながら、とてつもないシカゴ響を導いてゆく。特に何の誇張もしておらず、素直にマーラーのすごさがわかる。それにしても、ポストモダンをバカにする人はマーラーを聴くといい。これを超えられる人は実際ほとんどいないのだ。どうして20世紀初頭という早い段階で、こんなことが可能だったのだろうな。現代はここからむしろ後退している。
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あほなことをしてみました。
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夜、仕事。
図書館から借りてきた、エリック・ホッファー『波止場日記』読了。副題「労働と思索」。僕はホッファーにあまり興味をもてないのだが、これは自分の欠陥なのではあるまいか。ホッファーは周知のごとく沖仲仕をしながら図書館の本を読み、大学で政治学のクラスをもつほどの域に達した。独立自尊の人である。また、本書を読めばすぐわかるが、高貴な魂をもつ、よきアメリカの大衆のひとりでもあった。「大衆」と言ったのは別に彼を低く見るからではもちろんなく、ホッファー自身が自分を知識人とは見做さず、大衆のひとりであると自己認識し、またそれに誇りすらもっていたからである。いわば叩き上げの「賢者」のような人であった。文章も読み応えがある。モンテーニュを読んだのがものを書き始めるきっかけとなったそうだ。文体はモンテーニュとはまったくちがい、かなり凝縮されたものではあるが。他の本も図書館にあれば読んでみたいと思う。
- 作者: エリックホッファー,Eric Hoffer,田中淳
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2002/08
- メディア: 単行本
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関川夏央を読んでいたら惹き込まれて深夜になってしまった。つくづく感嘆する。これが実力者というものなのだ。(AM02:43)