曇。
モーツァルトの弦楽四重奏曲第十九番 K.465 で、演奏はハーゲンQ。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十六番 op.31-1 で、演奏はダニエル・バレンボイム。
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いまにも降り出しそう。図書館。ミスタードーナツ バロー各務原中央ショップ。エリック・ホッファーのアフォリズムを読む。結局自分って、自分の気になるところだけ読んでいるのではないかと思う。テキトーな読み方だなあ。
帰ってくるときに自転車に乗った女子高生を相次いでふたり見たのだが、ふたりともスカートの丈が短すぎてパンツが見えそうだった。女子高生のパンツを見て平静でいられる男はあまりいないことをわかってんのかなと思ってしまった。エリック・ホッファーよりも女子高生のパンツの方が強烈ですね。まあいいのだけれど(何が?)。
いやこれ、マジでおもしろいエントリだ。ホント、いじわるばあさんって病気ということにしていいのだろうか。シロクマ先生の困惑は尤もである。というか、シロクマ先生がそうせざるを得ない日本の現在はおかしいとしか言い様がない。僕は、皆んな頭がおかしいと思う。日本人全員が精神科にかかったらどうだろう。というか、実際にそうなりつつある。すごい時代になったものだ。
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図書館から借りてきた、『エリック・ホッファー 魂の錬金術』読了。副題「全アフォリズム集」。中本義彦訳。ホッファーは自分を遠く超えているためよくわからなかったが、わからないなりにおもしろいところもあった。ホッファーは「自己」(ホッファーその人のことではない)について熟考するが、自分は自己にこだわらないことはもちろんないけれど、というか他人から見れば大いにこだわっているのであろうが、基本的に自分にはあまり興味がもてない。ただ、才能があまりないつまらない普通人という自己認識で、それ以上のものはあまり必要としないのだ。自己観察は中二病時代にさんざんやったので、もう飽きたのである。どう考えても、自分より世界の方がおもしろい。自分など、そのうちこの世から消滅する存在であるし。
それから、自分は昔はアフォリズムが好きな気がしたが、本書を読んでいまはさほどでもないなと感じた。凝縮されたアフォリズムはツイートのようで、だらだらと読んでいたいいまの自分に合わない気もする。そして、どちらかというとシオランのアフォリズムの方が好きだ。これは感覚的な感想。
- 作者: エリックホッファー,Eric Hoffer,中本義彦
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2003/02/01
- メディア: 単行本
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