山本夏彦『寄せては返す波の音』

日曜日。晴。
すっきりと目が覚めた。いい気分。


モーツァルトのピアノ・ソナタ第十五番 K.533/494 で、ピアノはエミール・ギレリス。ギレリスはもともとあり余る技術の持ち主だが、ここではそれをまったく感じさせないゆっくりとしたテンポでじっくり弾いている。晩年はこういうスタイルになった。若い頃のギレリスは弾けすぎて時に唖然、うんざりとすることもあったが、ここではそういうことはまったく思わせない。宇野功芳氏は「ギレリスは自分にはいなくても困らないピアニスト」と言ったが、このような演奏を聴くと僕はとてもそうは言えない。


モーツァルトのピアノ協奏曲第二十三番 K.488 で、エレーヌ・グリモーによる弾き振り。グリモー流ではあるがかなりいい演奏だと思う。特に第二楽章がよかった。ただ、指揮はちゃんとした指揮者にやってもらった方が明らかによかったと思う。オケの音が貧弱でふくよかでないし、バランスもいまひとつ。


ブラームスのピアノ・トリオ第一番 op.8 で、ピアノはマリア・ジョアン・ピリス、ヴァイオリンはオーギュスタン・デュメイ、チェロはジャン・ワン。これはいい演奏。現代的な好演というべき。

今日は音楽を聴いていて雑念が多いな。音楽を聴くとこういうこともわかる(ってまあね)。


小飼弾さんがこんなことを言っておられる。

およそどんな人でも、幸せな瞬間というのは次の二つしかないのかもしれません。

  • できなかったことができるようになった瞬間
  • わからなかったことがわかるようになった瞬間
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/52031757.html

確かにそのとおりかも。さすがですね。僕がヘボなプログラミングをするのも、それかも知れない。


「「三菱につぶされました」新入社員自殺で両親提訴 三菱電機、いじめ原因か」 - カレーなる辛口Javaな転職日記
僕の旧友が三菱電機なのですけれど。でも、自殺しちゃダメ。恐ろしいと思うかも知れないけれど、ドロップアウトした方がいい。ふつうの人生は送れなくなるかも知れないが、それが悲惨な人生とは限らない。
 しかし、まがりなりにも日本の一流企業といわれたところが、こういうことを平気でするから怖い。そういうところの人は何を考えているのだろう。「上司らはA殿に対し適切な指導をしており、不適切・不合理な指導をしていた事実はありません」だって。まったく、世間知らずにはわからないことばかりだ。「人間性」って死語なの?

広江克彦氏の量子力学本を読む。続巻が出たので前の巻を読み直しているわけだ。物理学素人の本だというのがおもしろい。プロ向けの本というのはいわば大雑把なガイドで、素人が頼りに読んでも簡潔にしか書いてなく、広大な量子力学の世界で遭難し帰ってこれなくなったりすることがある。で、物理はオレにはわからんということになってしまうのだ。広江氏はそういうガイド本のこともよく知っていて、量子力学の標準ルートを、危険箇所にも配慮しつつ丁寧にガイドして下さる。いやほんとバカにしたものではないのですよ。楽しく再読している。本書ではそれほどの高みへは行けないかも知れないが、この世界を一歩づつ歩いてみたい方にはなかなかいい本だと確信している。

趣味で量子力学

趣味で量子力学

 
図書館から借りてきた、山本夏彦『寄せては返す波の音』読了。山本夏彦デビューです。荻原魚雷さんのブログエントリ(参照)に山本夏彦のことが書いてあったので、興味をもって読んでみた。まあ、まともすぎるくらいまとも、真っ当すぎるくらい真っ当な人ですね。自分にはあまり関係のない人かとも思ったのだが、意外とそうでもない。インストールする価値はあるかなと思いました。しかし、こういうタイプの偏屈はやはりちょっと苦手である。正義はきらいだと仰るのは頼もしいが、この人もひとりの正義なのだもの。それに、文章は立派だが、中身はこの程度のものはブログでもそこそこあるのではないか。そういうことを書くとお前には山本夏彦はわからないのだよと憫笑されるかも知れない。しかし、天気予報が当たるようになったのがむかつくと言われてもねえ。へそ曲がりでも、こういうへそ曲がりってどんなものかと思った。まあ、著者にはお前などに読んでもらう必要はないといわれそうである。もう何冊か、図書館から借りてくるかな。
寄せては返す波の音

寄せては返す波の音

エラそうなことを書きますね。僕はこの人の偏屈は、情報やノイズに身を晒しておられないからという側面があるのではないかと思う。それに、判断力は真っ当なのだが、結局この人はバカになれない人ですね。文章以外の自分はカスであるとよく書かれているが、そんなこと別に誰だってそうだし。まあ、僕は文章もカスですけれどね。