晴。
バッハのイギリス組曲第三番 BWV808 で、ピアノはアナトリー・ヴェデルニコフ。
シューベルトの即興曲集 op.90 で、ピアノはマレイ・ペライア。
リストのピアノ協奏曲第二番で、ピアノはカティア・ブニアティシヴィリ、指揮はアンドレイ・ボレイコ。この曲は下らない部分とおもしろい部分が綯い交ぜになった不思議な曲で、なかなかに複雑である。曲構造もよくわからない。全体が単一楽章なのだろうか。記憶に残りにくい曲なのだが、ホント結構おもしろいよね。
ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタ op.147 で、ヴィオラは今井信子、ピアノはエマニュエル・アックス。これはすばらしい曲であり、すばらしい演奏だ。この動画はもとはテレビで放送されたものをビデオテープに録画したものらしく、音の状態がかなり悪いが、それをあまり気にさせない見事さである。シリアス極まりない、ショスタコーヴィチの到達点。名演というべきであろう。
#
今村仁司編訳『現代語訳 清沢満之語録』読了。先日書いたことに多少付け加えておこう。自分は(自己卑下ではなく)本当に下らない人間であるが、清澤満之の凛冽の気には打たれる。これほど高貴で優秀な人間が、特に知られることもなく三河の田舎でひっそりと39歳の生涯を閉じざるを得なかったとは。満之は地元の人たちには好かれなかったと、先日清澤満之記念館にて知った。俗人とはおそるべきである。自分も俗人だからよく知っているが、俗人は立派な人間などいる筈がないと思っているし、いたらいたでむしろ憎みすらするものだ。もちろん満之はそのようなことは気にしなかったであろうけれど。と満之の求道者的な面を強調してしまったが、編者の仰るとおり、満之の宗教哲学者としての一面を閑却してはならないでもあろう。従来、満之は宗教哲学者としてはそれほど知られていなかったと言っていいだろうから。それに関しては、編者の本書解説などが参考になる。しかし、先日も書いたが、満之はやはり立派な人であった。やりようによってはきらびやかな世界が待っていたろうけれど、不遇に甘んじ、それをみずからの修養の糧として、不満を漏らすこともなく早死していった。よく生きたといいたいものがある。
- 作者: 今村仁司
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2001/01/16
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 2回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
いま検索していて知ったのだが、忘れられていた満之を忘却の淵から救い出したのは、まずは司馬遼太郎であったらしい。清澤満之記念館でも司馬遼太郎のことは聞いた。司馬遼太郎は最近では日本の「知的世界」において軽侮ないし忘却されている傾向にあるが、そんなにバカにしてもいいのだろうかという気がする。デリダとかドゥルーズだとか口走っている輩のみがエラいのだろうか(言っておくが、デリダもドゥルーズもエラい人たちである)。また社会学がすべてを切れるのだろうか。自分にはあまり関係のないことだが、何だかなという時代になっている。それが我々の時代だ。
#
中沢さんの訳した「鳥の仏教」を読んで寝る。