休日(山の日)。晴。
「Ruby の死?」みたいな記事を見かけたのだけれど、Rubyist としては残念ながら、Ruby の人気が多少落ちてきているのは確かだと思う。とにかくこのところ本が出ていない。Python なんかは機械学習の分野で新刊ラッシュだものな。それで入門書も本屋で平積みされているし。特に外国では、Ruby というととにかく Ruby on Rails のことだから、Rails がジリジリと後退しているのでそうなるのだと思う。あと、科学技術分野で完全に Python に差をつけられ、もはやその差は回復不能であることもまちがいない。
まあしかし、自分にはあんまり関係ないといえばそうなのだよね。本当にいい言語で、他に影響もいっぱい与えたと思う。それに、まつもとさんがリツイートしていたが(笑)、もはや Ruby を使う人がなくなることはなく、それで OK という人もいるし(僕もそうだ)、何といっても Ruby は楽しい。正直言って Ruby の進化はほぼ完成していて、一定の方向性としては既にこれ以上ないというところまできていると思う。本当に a programmer's best friend なのだ。あとは入れるとすれば静的型付け、内包記法、パターンマッチ、マクロくらいかなとも思うが、どれも Ruby の方向性とちがうから、たぶんまつもとさんが入れることはないだろう。中途半端にやって変な言語にして欲しくないと思う。
あと、初心者プログラマとして思うのだが、もっと初心者が気楽に遊べるようにするというのは、それは改善点だと思う。自分が初心者から脱しないから思うのだが、初心者向けのツールがいまひとつ揃っていない。あと Linux を使っているから Ruby は UNIX 系にぴったりなのだが、Windows で Ruby を使うのがちょっと面倒ということもある。これは自分は関係ないけれど、やはり Windows というのは大きいのではないか。
標準で Windows 版の Ruby に無償の IDE が付くようになったら、多少状況は変わるだろうかねえ。あんまり関係ないかなあ。
まあ、色んな言語が使えるようになりたいですね。しかし、ホント Ruby の本がもっと出ないかなあ。
僕はテキストエディタは Linux の Geany(簡易 IDE)を使っているのだけれど、これくらいでも便利ですよ。Windows にこの程度のものがあればなあ。
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モーツァルトのピアノ協奏曲第二十二番 K.482 で、ピアノは上原彩子、指揮はファビオ・ルイージ。上原さんは各務原市出身のピアニストである。僕の中学の後輩にあたる(だから何だですが)。とりたてて際立った個性があるわけではないが、しかしこれ、すばらしくない? 同郷の誼で目が曇っているとかは万万ないと思う。いい演奏。ルイージも好サポートだしね。
まつもとさんのツイートがあった。
いやさすが。いいなあ(笑)「Rubyは滅びぬ。何度でもよみがえるさ」 https://t.co/bnK8tZOZzn
— Yukihiro Matsumoto (@yukihiro_matz) 2017年8月11日
買い物に出たら夕立にあう。
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図書館から借りてきた、國分功一郎『民主主義を直感するために』読了。國分さんは優秀なエリートであるが、こういうエリートなら信用できる。この人はアカデミズムの世界にいながら、いきいきとした感受性を失っていない。特に感動させられたのは最終章の「辺野古を直感するために」で、もちろん僕はパヨクであるから読み方にバイアスがかかりまくっているわけで、いやそんなわけなのか何なのか、涙腺がゆるむのを抑えるのが大変だった。ここでは國分さんは殆ど物見遊山のような感じで辺野古見物に出かけるのだけれど、そこで濃い体験をしておられる。本書全体の中でも、ここほど国家の本質が見えてくる部分はないであろう。僕は國分さんに、ファンとして少し厳しい見方もするので、本書は全面的には満足できないが、それでもこういうエリートがいることは希望を与えられる。國分さんは堅苦しくはなく、柔軟でわかりやすいが、しかし「真理の探求」をおろそかにしたくない、それが本分であるというような著者の、今後の益々の御活躍を期待したい。
- 作者: 國分功一郎
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ツイッターなどを見ていると意識の高い人がたくさんいて、日本の現状について鋭いともいえるツイートをたくさん発し、またそれがリツイートされているのを見ると、例えばどうしてお役所仕事の下らなさがまったく変わらないのか不思議な感じがする。ツイートでは皆んな「正しい」ことばかり言っていて、これじゃあ日本は理想の国になるぜと思うのだけれど。そもそも、そういう「正しい」ツイートやリツイートをしている「立派な人間」は、もしはたして彼・彼女が官僚になったとして、下らない官僚にならないものなのだろうか。僕は自分が官僚になったとして、下らない官僚にならない自信はない。そういえば高校の同級生で抜群に優秀なのがいて、早稲田大学の政経学部にストレートで入り、将来政治家になって日本をよくするのだとキャリア組の文部官僚になったが、彼などいまどうしているのだろうかとふと思う。政治家になったという話も聞かないのだが。彼は高邁な理想をもった優秀なエリートだったが、そもそもどういう官僚になったものなのだろうか。どうでもいいことだけれど。
僕は思うが、官僚になった大部分の人は、僕の同級生のように高邁な理想をもって官僚になったのだろう。それが、どうしてテレビに出てくるしょぼくれた、なさけない姿の、ウソばかりついている(?)官僚になるのだろうね。政治家もまた同様。それは僕の理解を超えている。ああ、幼稚なことを書いてしまった。