國分功一郎『中動態の世界』

晴。

昼から米屋。スーパー。


空がとっても青いのである。赤トンボがいっぱい飛んでいる。けれど撮れない。


予約本を取りに図書館へ行く。

図書館から借りてきた、國分功一郎『中動態の世界』読了。副題「意志と責任の考古学」。話題の本で、なかなかおもしろかった。自分にはわからないところもあったが、刺激的だったと思う。内容については書かない。読みながら、個人的なことを考えていた。自分は基本的に受動の人だなあと思う。意志がないわけではないが、はたして自分は自分の意志で行動しているのか、突き詰めてみるとよくわからない。例えば今日はスーパーでカルピスウォーターを買って飲んだが、もちろんこれは自分の意志でしたことではあろう。しかし、じつのところは、スーパーにいて「甘いものが飲みたいな」という欲求ないしは欲望があり、でこの前初めて飲んだカルピスウォーターを思い出して、何となく買っただけである。これは意志による行為なのだろうか(自分はなんとなくそれで満足しているわけだが)。万事そんなもので、自分の行動とは、世界という水面に行為という石を投げ込んで作り出す constellation のようなものである。それから、玄侑さんは「なりゆきを決然と生きる」と仰っていたが、そう言ってもよい。さて、これは中動態の世界と何か関係があるのだろうか。