計見一雄『統合失調症あるいは精神分裂病』

休日(海の日)。曇。


バッハのイギリス組曲第三番 BWV808 で、ピアノはアナトリー・ヴェデルニコフ。昨日も聴いた演奏。


ベートーヴェン交響曲第三番「英雄」op.55 で、指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。この曲は(「第九」を措いて)ベートーヴェン交響曲の最高傑作だと思うのであるが、じつはヤルヴィのやり方ではどうかなと案じていた。この曲には力不足なのではないかと、失礼ながら危惧していたのである。しかし、ヤルヴィは頑張った。ここでもじつにフレッシュな「エロイカ」を聴かせてくれていて、しかも道を外していない。終楽章以外は。終楽章は正直言って、音楽のエートスを表現しきれていないと思う。それはテンポが速すぎることにも現れているだろう。これは惜しかった。とにかく、終楽章以外は目の覚めるようなベートーヴェンである。偉大なベートーヴェンとはちがったやり方で、彼を演奏できるということを示したチャレンジングな演奏だといえるだろう。


シューベルトアルペジオーネ・ソナタ D821 で、チェロはアントニオ・メネセス、ピアノはマリア・ジョアン・ピリス。チェロにもピアノにも腹が立ってしようがなかった。別にお前の思い入れが裏切られただけで、悪い演奏ではないよと言われるかも知れないが、自分は許せない。ためらいもなにもない演奏である。この曲をこんなに鈍感に弾いていいものだろうか。それに、終楽章の突然転調して出てくるピアノのきわめて美しいソロ、これもピリスの繊細さのかけらもない演奏には怒りにうち震えるとすらいいたくなる。ああ、勝手な思い入れでスミマセン。でも、これは自分の愛して已まない曲なのだ。危険すぎるので、よほどでないと聴かないくらいの。

夕方、散歩してきました。いつものごとく、平凡な写真であります。




重複するのはあまり載せていないのだけれど、写真を撮りたくなる場所はいつも同じで、実際に同じ場所の写真ばかりを撮っている。昔の人がパワースポット(?)だと感じていたのは、案外こういう感覚なのかなとも空想する。まあ進歩がないだけといえばそうなのだけれどね。

計見一雄『統合失調症あるいは精神分裂病』読了。副題「精神医学の虚実」。これはかなりおもしろかった。といって、僕は精神科医の書いたものを一般人が読むことに、最近は懐疑的になっている者である。僕は自分の問題意識で本書を読んだのであり、「哲学書」とか「評論書(?)」を読むようなつもりで、つまりは興味本位で読んだわけではないと言っておこう。たぶん、例えば中井久夫さんの本でも、本業に関しては、精神医学の同業者以外はあまり読まない方がいいのではないかと思うようになった。唯一の例外は悪名高い(?)ユング派の河合隼雄さんで、というのも、河合隼雄さんは「自分は本当のことなど口が裂けてもいわない」というような人だからである。
 しかし、本書はおもしろかった。中身もおもしろかったし(けれども中身については書くつもりはない)、この人がじつに口が悪いのも愉快だった。というのも僕は著者が何にいらついているのか、わかるような気がするからである。一般読者に受け入れられる精神科医の書くものは、まずまちがいなく軽薄なものであるからだ。本書の中身とはあまり関係ないことだけれど、ひとつ書いておく。人間というものは、条件が揃えば簡単に「狂い」ます。いや、「発病します」の方が穏当かな? 自分が狂わないとすれば、それはじつは運がいいにすぎないのだということははっきりさせておきましょう。言い換えれば、あなたは「精神病者」のことを気持ち悪く思うかも知れないが、あなたがその「気持ち悪い」人間でないのは、運がいいからにすぎないというのが真理です。で、だから何なのだといわれれば、これ以上申し上げることはございません。

まあ読みたければ読めばいいのだが…。