カルロ・レーヴィ『キリストはエボリで止まった』

晴。
音楽を聴く。■バッハ:幻想曲とフーガ イ短調 BWV904、イタリア風アリアと変奏 イ短調 BWV989 (アンジェラ・ヒューイット参照)。なかなかいい。■レーガー:前奏曲とフーガ ロ短調 op.117-1、バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第一番 BWV1002 (庄司紗矢香参照)。レーガーは庄司に合っている。バッハは驚嘆せざるを得ない。少し庄司紗矢香がわかってきたような気がする。それにしても天才というものはいつ、どこに現れるかわからないものだとつくづく思う。そして、現在ポピュラリティのないクラシック音楽というジャンルのせいで、この天才はそれほど知られることはないだろう。不思議なものだ。■スカルラッティソナタ K.25, K.26, K.27, K.28, K.29, K.30 (スコット・ロス参照)。K.30 がフーガみたいなのですけれど。まったく驚嘆ばかりしているな。スコット・ロスチェンバロの鮮烈な響きといったら。

Python

for i in range(1, 10, 0.5):
    print(i)

とかやったらエラーなので驚いた。何がエラーなのかわかりますか。range の step 幅である 0.5 が float なのでエラーなのですね。整数でないといけないのか。なるほどなあ。
言語文化のちがい。
他の言語に慣れた人がRubyを使ったときにつまずきがちな9つのポイント - 西尾泰和のはてなダイアリー
僕は本格的に入れ込んだ初めての言語が Ruby だったので(二番めはまだない)、あまり戸惑わなかった。ただ「変数はすべて参照」というか、本当は Numeric と Symbol はちがうのだけれど、とにかく配列や文字列を引数にメソッド呼び出しをしてハマったことはある。メソッド内で破壊的変更をすると…。
 で、上記エントリーの頭に「ささださんも書いてます」とあって、リンク先を見てみると…、なんだ、さすがささださんというか、これネタですね。よくわからないのもあるのですけれど(笑)。変態だー。

図書館。休館日だったのでブックポストに返却してくる。
イオン。新しい水着を買ってくる。未来屋書店で新書を買ったので、ミスタードーナツで読もうとフードコートへいったら、何だかミスドの前に長い行列が出来ている。どうも金曜日には何かあるらしい。諦めて帰る。
市民公園の駐車場のところに冬桜が咲いていた。

カルロ・レーヴィ『キリストはエボリで止まった』読了。何だか不気味なタイトルだが、著者が反ファシズム活動の罪で流刑になった、南イタリアの寒村ガリアーノ(現実の名前はアリアーノ)には、キリスト教以前の魔術的世界が色濃く残っていることを言い表したものである。その意図せずして採用した民俗学的視線が、本書でのいちばんの特徴であり、また魅力になっている。いわば「迷信」の息づいた世界なのであるが、日本でもそれは太平洋戦争以前の田舎には多かれ少なかれ残っていた筈である。そしてその迷信と魔術の中での狭い世界でも、人が生き死んでいくというどこでも同様の真実から、遠く離れている筈がないし、却って人間本来の生き死にに近いのではないかと思わせられる。もちろん自分は「未開」ばんざいと言いたいわけではないが、結局人生というものはどこであっても、どの時代でも似たようなものなのだ。著者のレーヴィは大変なインテリであるが、彼はガリアーノに流刑されていて、ある意味では幸福を感じた面もあったのかも知れない。本書は、そういう印象を与える。いずれにしても本書は既に古典であり、また現代人が読んでもおもしろいことを確信する。

キリストはエボリで止まった (岩波文庫)

キリストはエボリで止まった (岩波文庫)