中川大地『現代ゲーム全史』

曇。
起きてPCの電源を入れ、横のネットを時々見ながら二時間くらい腰掛けてぼーっとする。ネットは見るともなくで、ぼーっとするのが主眼。ぼーっとするのが好きなのだよね。寝ている間にすごく頭を使うので、自分にはこうした方がいいのである。だからサラリーマンなんかできない。サラリーマンの人とかマジですごいと思う。
Okatake さんの日記を読んでいて、この御時世でもいい本を作っている人がいるのだなと思う。感心してしまう。こういう本を買わない僕のような人間が、出版文化の没落するのに手を貸しているのかも知れない。

モーツァルトクラリネット五重奏曲 K.581 で、クラリネットは横川晴児。これはいい演奏。横川晴児というクラリネット奏者は初めて聴くが、充分にいい。名曲を堪能できるレヴェルの演奏だと思う。以上とは関係ないのだが、この曲って終楽章は変奏曲だけれど、終楽章が変奏曲というのはあまりないよね。すぐに思い出せるのはブラームスの第四交響曲がそう。もちろん探せばもっともっとあるだろうな。ああ、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三十番もそうか。

カルコス。酒屋。
Linux Mint 17.2 の X Window System が死んだのを復旧させようと試みたが、途中で詰まってわからなくなった。日本語フォーラムで尋ねてみることにする。
図書館から借りてきた、中川大地『現代ゲーム全史』読了。これは極めてスリリングな書物だ。この量、この質、この考察力、まったくすごい書物ができあがったものである。図書館の本なので最初は気づかなかったが、本書のオビの推薦文を書いているのは中沢さんである。中沢さんは「ゲームは心の『野』を開く鍵を蔵している」とそこで書いているが、なるほどと思わせるくらい、本書の説得力はすごい。本書はデジタル・ゲーム(とでも仮に呼んでおく)のまさしく全史であり、その記述は「ポン」あたりから本格的になると言えよう。それにしても、本書を自分が仮に批評するとすれば、自分はまったく適任でないと言うべきだ。先日書いたとおり(参照)、自分はゲームが面倒な時代遅れのおっさんにすぎないからだ。本書で自分が同時代だったと言えるのは、p.131からp.160まで、第5章(1980年代前半)全体だけにすぎない。まさしくたったこれだけで、あとは一時期ゲーセンでバーチャファイターにハマったくらいであろうか。ドラクエは「3」を知人の下宿でやっただけ、FFもやっていないしマリオもポケモンもやっていない。こんなのが現代人と言えるだろうか。ゲームによって心の「野」を開くのは、少なくとも自分ではなさそうだ。本書は自分の消化力を超えているため、途中からはかなり駆け足で読むことになってしまって残念であるが、若い人なら驚嘆だけでなく、色いろなツッコミもなすことができるだろう。まさしく未来は若い人たちのためにあるのだ。

現代ゲーム全史  文明の遊戯史観から

現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から

積ん読宇野常寛も読まないといけないね。

iPad miniiOS のアップデートが、スリープになるたびに中断して面倒なこと夥しい。どうしてこんな仕様になっているのか。ただでさえすぐにスリープするので、ダウンロードがちっとも終わらない。