光化学協会編『「人工光合成」とは何か』

日曜日。ひさしぶりに晴。
音楽を聴く。■バッハ:カンタータ第21番「わがうちに憂いは満ちぬ」 (カール・リヒター参照)。リヒターのバッハはもっと聴かないとな。
自分でデザインを考えたブログ、結構気に入っている。すっきりしているのと、あと写真を大きく表示できるのがいいかな(自画自賛)。iPad mini Retina で見るのがいちばん好きだ。

光化学協会編『「人工光合成」とは何か』読了。植物は光合成により、水と二酸化炭素から生きるために必要なもの(デンプン)と酸素を自ら作り出している。これは見てのとおり、環境を汚さないという意味で、まったく「クリーンな」ものだ。であるからして、この光合成を人工的に再現し、新しいエネルギー創出方法を開発しようというのはわかりやすい動機である。
 で、実際のところはどうか。本書を読むと、(そんなことははっきりとは書いていないけれど)なかなかそれは簡単なことではないようだ。まず、普通の光合成はデンプンを作るわけだが、我々はあんまり人工光合成でデンプンは欲しくない(食べるなら植物そのものを食べればよいのだから)。むしろ人工光合成で追求されるのは、水素を得ることである。水素は酸素と化合させれば、簡単に有用なエネルギーを作り出すことができるし、反応の結果は水ができるだけなので、まったくクリーンだ。けれども、それはなかなか容易でない。まず、エネルギー変換効率が(今のところ)悪すぎる。大雑把に言って、太陽電池による発電の10分の1以下の効率しかない。光合成は、エネルギー効率が悪いのだ。コスト的にもむずかしい。いまのところ価格面で他の方法に太刀打ちできない。そしてまだ基礎的な原理論の段階で、製品化の段階でもないのである。
 それから、人工光合成とはあまり関係がないが、本書を読んで驚かされたのは、我々人類が現在(単位時間あたりで)消費しているエネルギーは、(単位時間あたりで)地球全体が得る太陽光エネルギーの1万分の1あるらしい。これを多いと見るか少ないと見るかであるが、自分にはかなり大きい数字に思える。地球の得る太陽光エネルギーは莫大なものだと思っていたが、それは我々の手に届くところにあるように思える。何だか恐ろしいのだが。


今日も昼から仕事。明日から小旅行に行ってきます。