向井雅明『ラカン入門』/長田弘『人はかつて樹だった』

晴。
音楽を聴く。■モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 K.547(パールマンバレンボイム参照)。
リフレッシュは組み込み可能。遊びの観光でもたくさんの得るものがあったりするから、わからないものだな。僕は海外へ行ったことがないけれど、海外での見聞はさらに得るところがあるのだろうな。しかしまあ、なかなか日本人に日本や東洋というものがわからなくなっているのではあるけれど。自国文化を忘却した「国際化」。
 いまの「和ブーム」がどれほど日本なのかは、正確に測定する必要があるだろう。別に日本でなくていけないわけではないけれど。

ラーメン「天下一品」岐阜藪田店にて昼食。豚トロチャーシューメン908円。「天下一品」は学生のとき学校の近くに本店があって、時々食べていたので懐かしかった。いまでは堂々たる全国チェーンになりましたね。食べるのは二十年ぶりくらいだろうか。記憶ではもっとうまかったような気がするが、まあ悪くなかった。スープはここまでドロドロだったかなあ。
県図書館。

向井雅明『ラカン入門』読了。若い頃からラカンの名を聞かされ続けてきたが、凡庸な自分にはラカンはむずかしい。というか、本書を読んでも、精神分析は圧倒的な精緻さで人間の心を記述してみせるのだが、あんまり精緻すぎてホントかいなという気が抑えきれないのである。しかしまあ、それはこちらの頭が悪いせいであろう。読んでいてしきりに思われたのは、例えば日本人の精神に対してもラカン理論は適用可能かも知れないし、第一日本にはラカニアンが掃いて捨てるほど存在するわけだが、こういう魂を鋭いメスで切り刻むという行為を執拗に延々と続けるのは、日本人にはちょっとむずかしいのではないかということだ。そういう執拗な情熱が、日本人に一生続くであろうか。僕は、西洋人を知るには精神分析を研究するのが早道ではないかと思う。実際、精神分析は神の代理であろう。恐らく、日本人にはラカニアンは腐るほど出ても、ラカンその人は出ないのではないか。しかしまあ、いずれにせよ本書はおもしろかった。秀才が読めばさらにおもしろいのではないかと思う。

ラカン入門 (ちくま学芸文庫)

ラカン入門 (ちくま学芸文庫)

図書館から借りてきた、長田弘『人はかつて樹だった』読了。なにこれ。中二向け? 五分で読了。田舎に住んでいたら、到底こんな詩は書けないと思う。たぶん、東京かそこらに住んでいるから、こんなものを書いてしまうのではないか。こういうのが高名な詩人ってどうよ。って故人でしたね。たぶん。
詩集 人はかつて樹だった

詩集 人はかつて樹だった