セプールベダ『第二のデモクラテス』/和田祐介『Webサービスのつくり方』

日曜日。晴。
午後三時頃、妹一家帰る。

セプールベダ『第二のデモクラテス』読了。著者は十六世紀スペインの聖職者であり、本書はスペイン人による武力を以てしたインディオ征服を正当化したものである。セプールベダによる擁護は、異教徒の野蛮人たちを武力で教化するのは、彼らのためになるというようなもので、もちろん今の目から見れば、到底説得力などかけらもない。本人ですらこれが「屁理屈」であることはよくわかっていたであろう。しかしまた、世の中は「屁理屈」で動く。セプールベダは正義の戦争は許されると何度も主張しているが、この言葉に説得される人間はむしろ多数派ではないか。例えば現代の例で云えば、IS は叩き潰すべきであるというのは「正論」であろう。確かに IS は碌なものではない。しかし単純な「絶対悪」などではないこともまた明らかである。こちらに「正義」はあるが、向こうにもまたちがった「正義」があるのだ。もちろん自分は「民主主義」や「人権」というものが試行錯誤の上で得られた重要な「解」の一二であることは否定しない。これらのことは、単純な原理原則で一刀両断できるようなものではあるまい。
 読んでいて気になったのは、もう少し別のことである。ユダヤ教キリスト教イスラム教という唯一絶対神をもつ宗教において、果たして神が殺せと云えば、殺すのかということだ。そしてそこで仮に殺さないでいて、それで依然としてユダヤ教徒キリスト教徒、イスラム教徒でいられるのか。それは気になる。仏教ではそういうことは考えられない。「仏」というのは関係性のノードのひとつにすぎず、いわば「方便」だからである。仏教に「絶対」がないわけではないだろうが、仏教徒はその「絶対」にも縛られない。そういう「矛盾」は、ユダヤ教キリスト教イスラム教ではあり得ないのである。

政治は本当に厄介なものだ。例えば、IS を空爆すべきかどうか。自分はそれが有効であるとは思えないから、一応反対ではある。しかし、それが正しいかどうかはまた別の問題である。結果は偶然に大きく作用される。政治は賭けの連続であり、「絶対に正しい」対応などない。そもそも自分に、「正しく」判断するためのどれほどの知識があるというのか。それは、多かれ少なかれ大部分の人が強いられる制約である。
 なお、ついでに云うが、注意すべきは、いま中東で戦い合っているのはイスラム教徒どうしだと云うことだ。IS はそれを「イスラーム 対 異教徒」の対立に変えたいのだ。だから、問題なのは、そのような「大イスラーム 対 異教徒」の構図を認めてよいのかということである。それを認めるということは、IS の意図をある意味で肯定することになる。いずれにせよ、様々な意味で、欧米がそれを認めることはあり得ないだろう。

図書館から借りてきた、和田祐介『Webサービスのつくり方』読了。著者はネット上で有名な「ゆーすけべー」さん。Webサービスを作ってお金儲けをしようとかは思わないが、それでもWebサービス自体はおもしろそうだと思う。本書はとてもわかりやすいので、自分のような初心者にはちょうどいい。ただ、コード例が Perl なので、そこはちょっと残念でないこともない。RubyPython だったらなと思う。しかしここでも、ハッカーとしての実力を上げたかったら師匠が要ることは痛感する。
Webサービスのつくり方 ~「新しい」を生み出すための33のエッセイ (Software Design plus)

Webサービスのつくり方 ~「新しい」を生み出すための33のエッセイ (Software Design plus)


また明日から早朝出勤。