杉本秀太郎『徒然草』/鶴見俊輔&関川夏央『日本人は何を捨ててきたのか』

晴。昼から雨。
音楽を聴く。■バッハ:前奏曲ハ短調 BWV999、リュート組曲ト短調 BWV995 (イェラン・セルシェル、参照)。これまでリュート組曲を聴かなかったのはすごい損失だった。誰も教えてくれないのだもの。■テレマン:序曲イ短調 TWV55-a2 (ペイエ、コレギウム・インストゥルメンターレ・ブリュヘンセ、参照)。テレマンには確かに大バッハのような深みはないのだけれど、横の広がりは尋常でない。というか、自分にはまだテレマンの音楽の噴出点がわからない。そして、軽やかで鳥のよう。■ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第四番 op.102-1 (デュ・プレ、バレンボイム参照)。これはまたテレマンから遠くへ来てしまったな。ここでは何かダイナミックな力能(冗語法?)が音楽の中に入り込んできている。で、この曲は形式的にかなり自由な構成。■リスト:ピアノ協奏曲第二番(ケンプ、アナトゥール・フィストラーリ、参照)。ピアノ・ソナタ ロ短調を思わせるところもあるが…しかし呆れた曲だな。あんまり好きになれない。

図書館から借りてきた、杉本秀太郎徒然草』読了。杉本先生のガイドで『徒然草』巡りに出るのも悪くない。『徒然草』に目を通したのは随分と昔のことなので、新鮮な気持ちで読めた。杉本先生の文章は今では古くさいが、自分は古くさいのはウェルカムである。杉本先生、確か今年亡くなったのでは。相当に長生きされた筈だ。

徒然草 (古典を読む)

徒然草 (古典を読む)

鶴見俊輔関川夏央『日本人は何を捨ててきたのか』読了。関川による鶴見への聞き書、というか、殆ど対談集になっている。僕は鶴見の文章も関川のある種の文章も苦手で、たまたまいま関川のマンガ評論を外食時に読んでいるのだが、なかなか進まないのである。しかし、本書には圧倒された。もともとの知識のベースが、二人に到底追いつかない。特に、鶴見俊輔の頭のよさは前から感じていたが、本書でもつくづく思い知らされた。一族の人間が悉くエリートで、いくら不良だと云っても血は争えない。本書でも題がキライだとか、幾らでも悪口は言えるのだが、見っともないから止めておく。鶴見に言わせると日本の未来は明るいそうだ。そうなることを願いたい。