アンドレ・ヴェイユ『位相群上の積分とその応用』/戸田盛和『波動と非線形問題30講』

日曜日。晴。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ協奏曲第二十七番K.595(ピリス、ジョルダン参照)。自分に対する疑問符というか、を感じる。中心部がきちんとできていない。■ドビュッシー:第一ラプソディ、遊戯、海(ブーレーズ参照)。やはりブーレーズの見事な達成であると云うべきだろうな。どこか、全面的に肯定できない気もするのだが。
図書館。近代日本の歴史をちょっと勉強しようと思うのだが、図書館の棚があまりにも使えない。これでは、図書館に篭って勉強するとかあり得ない。先日オープンした、岐阜市のメディアコスモスなどはどうなのだろう。各務原市民でも利用できるのだろうか。

アンドレ・ヴェイユ位相群上の積分とその応用』にざっと目を通す。齋藤正彦訳。まあ自分にわかる筈もないのだが、一応目は通した。しかし、何でこんなむずかしい本が文庫に入るのかねえ。もちろん、もっとやってくれという意味である。

位相群上の積分とその応用 (ちくま学芸文庫)

位相群上の積分とその応用 (ちくま学芸文庫)

図書館から借りてきた、戸田盛和『波動と非線形問題30講』にざっと目を通す。初学者向けという「物理学30講」シリーズの三冊目であるが、戸田先生の専門であり、先生が貢献者の一人として切り開かれた分野なので、相当にむずかしい。自分などは到底理解したとは云えないが、丁寧に書かれてあるのは間違いなく、わかる部分だけ読んでいてもとてもおもしろかった。カオスなどは、僕が学生の頃ちょうど流行っていて、専門の講義に顔を出していたことなどを思い出しながら読んだ。もう少し勉強して、また目を通してみたい。
波動と非線形問題30講 (物理学30講シリーズ)

波動と非線形問題30講 (物理学30講シリーズ)


現在の我々のロジックとして、「人を殺すというのは合理的判断の下に立つ」ということがあると思う。つまり合理的な理由があれば、我々は人を殺すことが許されるということである。これはあまりにも当り前になっているロジックであるが、よく考察してみるに値することではないか。もう少ししっかり腑分けした方がいいというか。
NHK のニュースを見ていたら、ソマリアの海賊対策で自衛隊が活動していることを報道していた。自分の無知であったことに、解説も何もなかったが、これはほぼ実戦配備だというのが直ぐにわかった。これには驚かされた。ここまでやっているとは。そして、これまでに自衛隊の戦死者が出ていないのは、幸運に過ぎないことも察知した。あって欲しくないことだが、いつ戦死者が出てもおかしくはない。なるほど、政府はこれを狙っていたのか。もし戦死者が出た場合、果たして国民はどういう判断をなすのか。たぶん、では日本は世界平和のために貢献しなくていいのかなどと云われて、なし崩し的に慣れていくような気がする。なるほどな、政府の狙いか。
反対しているのは中韓だけ!集団的自衛権「世界の常識」が理解できない左派マスコミにはウンザリだ(髙橋 洋一) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
「世界の多くの国がどこかと何らかの同盟関係をなぜ結ぶかといえば、そのほうが戦争のリスクを減らせるからである。」うーん、何かよくわからない。「日英同盟」にせよ「日独伊三国同盟」にせよ、戦争のためだったのではないの? それに、アメリカって第二次世界大戦以後も、休むヒマがないくらい戦争をやっているのですが。アメリカの同盟国とやらも、何度も戦争に巻き込まれているのですが(例えば、どういう理由でベトナム戦争に韓国軍が参加したのか)。まあ仕方がないけれどさあ。どのみち、いずれ日本は「正義の戦争」というのに参加することになると思う。「リスク軽減」のため、先制攻撃も避けなくなるかも知れない(実際に安倍首相はこれを肯定した)。乱暴に云うと、「世界標準の考え方」というのは、イラク戦争を見ても、武力の強い国は何をやってもいいということでしょう(あんまり乱暴な言い方でスミマセン)。日本人は正直者の筈だから、それならそうと言った方がいいと思うが。どうも高橋洋一氏は本気で「リスク軽減」と思っているらしいが、それは間違ってはいないけれど、もしそれだけなら、中二以下の素朴さであるか、あるいはあまりにもわかりやすい「対米従属」論者ですね。高橋洋一氏に「日米地位協定」について、また沖縄問題をどう考えるか、聞いてみたいものだが。まあ僕は、「中国の脅威」(の実体は単純ではないと思うけれど)のため、アメリカと「同盟」するというのはわかるが、いつまで「属国」やってんの? という感じなんですけど。「集団的自衛権」もいいけれど、アメリカの「同盟国」になってからやるべきでは?
 しかし、「朝鮮戦争での機雷掃海」を高橋洋一氏が出してきたのには驚いたというか、さすがに策士という感じがする。これ、アメリカの言い分に吉田茂が屈服して、武装していない(軍隊でない)海上保安庁の船舶を戦場の真っ只中に出し、「殉死者」(「戦死者」ではない)まで出したという、日本にとっては屈辱的な事例ですよ(参照)。それを知っていながら、集団的自衛権の例としてここに出してくるとは、どういう神経の持ち主なのか。厚顔無恥だとしか言いようがない。いずれにせよ、法案成立という今の流れは止められません。それを見越した、高橋洋一氏の見事な処世術だと思う。
 それにしても、中国と日本が戦争になった場合、「属国」を本当にアメリカが助けてくれるのかね。わかったものではないと思うが。というか、アメリカの国益になるなら助けるだろうし、そうでなければ絶対に助けないに決っている。実際にかつての日米安保条約では、アメリカは日本防衛の「義務」はもたないとはっきり言っていた。今でも、本質的には何も変っていないと思う。
 ふと思うのは、かつて小沢一郎自衛隊を国連軍にせよと言っていたが、いま日本がアメリカの属国のまま国際戦争にデビューしようとしているところを見ると、そのかつての小沢一郎の意見の方がよく考え抜かれているということだ。それはむしろ反アメリカ的であり、そのようなことを与党の実力者が言っていたというのは、今では考えられないような話である。そう言えば小沢は若い議員たちを連れて中国へ行っていたりもしたな。なるほど、それだからこそ小沢一郎は葬り去られたのかも知れないが、その辺は自分などにはよくわからないところだ。今のような形で日本が「普通の国」になっていくのがいいか、小沢一郎的に「普通の国」になっていくのがいいのか。ちなみに、日本を「普通の国」にするというのは、そもそも小沢一郎の専売特許みたいなものだったのだが。
 まあしかし、現実的には、日本と中国が戦争になる可能性はまずないと思うけれども。両国は経済的にあまりにも大きく結びついているので、戦争になった場合の経済的損失は、お互いに計り知れない。精々あったところで、尖閣諸島周辺での小競り合いくらいであろうし、それですらまずあり得ないだろう。

集団的自衛権巡る愚論に終止符を打つ!戦争を防ぐための「平和の五要件」を教えよう(髙橋 洋一) | 現代ビジネス | 講談社(1/8)
高橋洋一氏のこれも非常におもしろかった。「朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争コソボ戦争の時に、グラフが跳ね上がっている。戦争の発生は、しばしば時間に関してランダムなポアソン過程であるといわれる。この場合、それぞれの戦争にはほとんど因果関係がないものと示唆されるが、実際にもそうなっていると感じさせられる。なお、ポワソン過程は、故障・災害の発生、店舗への来客、電話の着信、タクシーの待ち時間などのモデル化でよく用いられているものだ。」へー、戦争ってランダムに起きるんだ。もしかして「自然現象」って言いたいの? ところで「朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争コソボ戦争」って、すべてアメリカの関わった戦争ですよね。もちろん「正義の戦争」ということなのでしょう。ところで「民主主義国家同士は、まれにしか戦争しない」という主張は、これは素人判断でも間違っていないと思いますね。だから、たくさん戦争をしてきたアメリカの戦争というのは、「非民主主義国家」に対する「正義の戦争」だということなのでしょう。まあ、「民主国家」がそういう主張をするのは当然でしょうね。だから、高橋洋一氏はイラク戦争のことは一言も喋りませんが、あれも問題ないということなのでしょうね。これに関しては、僕はそうは思いませんが。ちなみに高橋洋一氏は、ベトナム戦争もまったくアメリカに問題はないという口調です。さすがに「対米従属」主義者という感じ。たぶん、キューバ危機なんかもそういうつもりなのでしょう。あれは戦争ではないと云われるかな。ソ連が引かなかったら全面核戦争になっていたのですが(ケネディはそれをはっきりと決断していました。全世界の存続よりもアメリカの威信を重視したのです)。また、高橋洋一氏は「中国はこれまで多くの戦争をしてきている、非民主主義国であることを忘れてはいけない」とも述べられております。これには賛成ですが、自分は「アメリカはこれまで多くの戦争をしてきている、民主主義国であることを忘れてはいけない」とも言いたいですね。
 僕は高橋洋一氏が全面的に間違っていると云うつもりはありません。高橋洋一氏が自分の正しさに酔っているのが見えるだけです。結構意図的に言い落していることがあると言いたいだけ。僕も、自分が何もかも正しいとは思っていません。政治には賭けの要素があるからです。それだからこそ、政治的に「自分は全面的に正しい」という論者がいれば、むしろそれを疑うべきです。政治は数学でも、経済学でもありません。もちろん、それらの果実を使うことはまったく問題無いと思います。しかし、数字だけで表せる世界ではないのです。