ピエール・テイヤール・ド・シャルダン『現象としての人間』

曇。
音楽を聴く。■モーツァルトクラリネット協奏曲K.622(シャロン・カム)。まあまあ。

Clarinet Concerto & Quintet

Clarinet Concerto & Quintet

ブラームス:ピアノ協奏曲第二番op.83(アラウ、ベルナルト・ハイティンク参照)。ピアニストも指揮者も、さすがの演奏。

図書館から借りてきた、ピエール・テイヤール・ド・シャルダン『現象としての人間』読了。キリスト教新興宗教とでも云う感じ。全生物の存在はホモ・サピエンスの登場のためにあり、さらにそれはキリスト教文明に収斂する、という読みは誤読かも知れないが、そのような「誤読」に読者を必然的に誘うような本である。進化という概念を「精神」にも適用し、人類は「超人」に至って新しい段階に入るとされる。本書の重要タームである「思考力」(原語は réfléxion)という概念は非常に曖昧なもので*1、その点で例の「ミーム*2を思わせないでもない。ただし著者の専門である古生物学に関する記述は、自分の判断を超えていることは断っておこう。けれども、著者の科学的知識は、今では古びているところも少なくない。本書は確かに壮大な総合であるが、あまり自分を説得しなかったのは残念である。
 本書の背後にはキリスト教への深い信仰がある。徹頭徹尾、「神」のために書かれた本だと言ってもいいであろう。恐らく非キリスト教徒には開かれていない。それをどう取るかは、読者次第であろう。
現象としての人間 [新版]

現象としての人間 [新版]

*1:わざわざカントから退行する必要があるのだろうか。

*2:ミーム」は元々はドーキンスのちょっとした思いつきに過ぎず、少なくとも学問的な検討を要する対象ではない。この概念を喜んで使っている人たちは、冗談でなければ、気の利いた言い回しを使ってみたいだけではなかろうか。