玄侑宗久『まわりみち極楽論』

晴。寒い。
音楽を聴く。■モーツァルト弦楽四重奏曲第十三番K.173(ターリヒQ、参照)。この曲、ハイドン・セットの前だから録音が少ないが、野心的なとてもいいものでしょう。もっと聴かれていい。■ショパンマズルカop.68, op.Posth(フランソワ)。

玄侑宗久『まわりみち極楽論』読了。玄侑さんの本としては、割と初期のものである。玄侑さんは常に進歩(玄侑さんなら、「変化」だと仰るだろうが)しておられるので、最近のものとはまたちがうけれども、物理学(者)の話題なんかもガンガン出てきて、これが玄侑節なのだ。へー、自分はデヴィッド・ボームの量子力学は勉強していないなあと、刺激を受けたりもする。都々逸まで読んでおられるのかと、これはちょっと笑ってしまった。これぞ禅僧でしょう。
 で、読了して何の気なしに文庫解説に至ったら、解説者が驚いたことに、数日前に亡くなられた赤瀬川原平さんだった。ついさっき話題にしていたばかりでもあったので、偶然だが何か不思議な感じがした。もう赤瀬川さんの新しい文章を読むこともなくなるのだなと、思う。

まわりみち極楽論―人生の不安にこたえる (朝日文庫)

まわりみち極楽論―人生の不安にこたえる (朝日文庫)

自分もどんどん変っていっている。変わることが即よいことだとは云えないので、今は今で充実した自分でいられるように変わりたいものだ。しかし、それにしてもこのところ読めてないよね。音楽を聴く時間を多く取っているせいもあるが。どうなることやら。