トーマス・カスーリス『神道』

日曜日。晴。
音楽を聴く。■モーツァルト交響曲第十九番K.132(ベーム参照)。■サン=サーンス:ピアノ四重奏曲変ロ長調op.41(ナッシュ・アンサンブル、参照)。■ツェルニー:ピアノ・ソナタ第六番op.124(マーティン・ジョーンズ、参照)。五〇分かかる大曲。■メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲第三番(補筆版)、序曲「ヘブリディーズ諸島」op.26(ロベルト・プロッセダ、シャイー、参照)。好演。

2014年晩秋・秋_37ウチの近くのバス停から、イオンモールへ行くバス路線ができたので、乗ってみる。いつも通っている道だが、バスから見る風景は何となく不思議な感じ。イオンのバス乗り場に着いてみると、色々な場所からのちょっとしたターミナルになっていて驚く。イオンモールは大幅に増床した直後で、日曜日でもあり、すごい人出。田んぼの中の駐車場まで満杯なくらいで、たぶんここがいま各務原でいちばん活気がある場所であろう。イオンの周りはまだ田んぼがかなり残っているような場所なのだが、中は完全に人工的な別世界で、カプセル化とでも呼ぶしかない。おしゃれなどして、皆ここに一種の夢を求めて来るのだろうなと思わされる。それは別に悪いことではないが、今の子供たちはこういうところがデフォルトで育ってくるというのは、充分頭に入れておかねばならないことであろう。
 イオンからはてくてく歩いて帰ってくる。田舎。日没が早い。

トーマス・カスーリス『神道』読了。神道に関する、とても精緻な分析。ただ、見事だとは思うのだが、自分には本書の主張が正しいのか、それともそうでないのか、どうもよくわからないのである。たぶん自分も自分なりの、神道に関する感じをもっていると思うのだが、著者はその感じを、確かにうまく記述しているような気もする。しかしそれは、神道をいったんバラバラにして組み立てたようなもので、どんぴしゃり当っているのか、それとも近似的に成立しているのか、そこいらが定かでない。例えば本書のキータームには、「ホログラフィー的入口」だとか、「実存的」神道と「本質主義的」神道の区別だとか、重要なものがあるけれども、これらは見事な概念化ではあるが、どうも自分にはそれが的を射ているのかどうか、わからないのである。ただし、そうではあるが、本書には日本人には却って意識できないところをうまく掬っている、そういう点も確実にある。以上のことは、盾の両面であろう。一読の価値はあると思う。

神道 (ちくま学芸文庫)

神道 (ちくま学芸文庫)