大江健三郎『私という小説家の作り方』

晴。
音楽を聴く。■ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第八番、第五番(デュメイ、ピリス、参照)。とてもよい演奏。安心して聴ける。改めて「スプリング・ソナタ」って愛らしい曲だなと思う。

大江健三郎『私という小説家の作り方』読了。やはり大江さんは面白い。惹句には「クリエイティブな自伝」なる、意味不明の標語があるが、これは自伝かなあ。むしろ、文学論であり、自分の書いた小説を読者として読んだ批評とも云えるし、また、これ自体「小説」と見做してもいいだろう。大江健三郎はどういう小説家だなんて、到底自分の手に負えない問題なので、取り敢えず、大江健三郎は自分の無意識を面白がらせる小説家なのだと云っておこう。というのは、氏の小説のどこが凄い、面白いと、自分はどうもよく指摘できないことの裏返しでもある。意識的には、こんなわけのわからない小説、どこがいいんだとなりそうなのであるが、実際に読んでいると、先が読みたくて仕方のない作家なのだ。わけのわからない評ですみません。
 恥ずかしながら大江さんの小説は、まだ読んでいないものがたくさんあるのだよね。まあ、楽しみがまだいっぱい残っているということだ。

私という小説家の作り方 (新潮文庫)

私という小説家の作り方 (新潮文庫)


ポリーニの新譜を聴く。曲はブラームスのピアノ協奏曲第二番、指揮はティーレマンポリーニは既に相当の高齢であるが、音楽的にも技術的にも完璧な演奏が聴ける。しかし、本音を書いてしまえば、この録音も近年のポリーニのそれと同じく、残念ながら自分の気持ちはピクリとも動かなかった。ポリーニが悪いのか自分が悪いのか、まあどちらかなのだが、今の自分は、もうポリーニは抜け殻だと断言したい気分である。ポリーニはこの曲は三度目の録音であり、今回のは技術的だけでなく、情感の表現としてもまず完璧だと云えるが、自分は昔の録音のことばかりを考えていた。機械のように正確だが、その裏に熱い情熱が隠しきれなかった、かつての録音を。今回の録音は、禅で言う「大悲」の心を欠いていると思う。これはすべての精神活動の土台であり、これを欠けば、心は飛んでもないところまで至ってしまう。今回(そして近年)のポリーニは、まさしくこれであろうと云いたい。ポリーニの正規盤全録音を聴いてきた身としては、何ともさみしい結論であるが、しかしこればかりは仕方がない。
 それでも、ポリーニの録音が出れば、また買うつもりである。それからティーレマンだが、特に感想はない。第二楽章に、少し面白いと思った部分があることは、付記しておこう。ポリーニはと云えば、終楽章は多少マシだと書いておかないと、フェアではないだろうね。
Brahms: Klavierkonzert Nr.2

Brahms: Klavierkonzert Nr.2