濱口桂一郎『日本の雇用と中高年』/武谷三男『物理学入門』

晴。
どれだけでも眠れるな。
音楽を聴く。■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第二十二番op.54(バックハウス)。うーん、バックハウスはもっと聴かないと。

濱口桂一郎『日本の雇用と中高年』読了。まず、本書では雇用形態を「ジョブ型」と「メンバーシップ型」に分けているが、この類別を知ったことが、本書を読んだ大きな利得だった。「ジョブ型」というのは主に欧米社会のもので、ある職務(ジョブ)があって、それができる人間を雇用するというものである。翻って「メンバーシップ型」とは、(一時期の)日本型雇用形態であり、社員はまず会社に所属するものであり、ある職務に対して雇われるわけではないというものである。なるほど、云われてみればそのとおりであり、とてもすっきりしている。本書はこの基本概念をもとに、これまでの歴史を踏まえ、これから雇用のあり方をどうしていくべきか、特に中高年の雇用を軸に考察したものだと自分は捉えた。もっとも、自分の仕事は一種の自営業であり、会社勤めをしたことがないので、そのあたりは感覚的によくわからないこともあるし、また本書の議論は精緻で、自分の理解力では厳しいところもある。ただ、自分がひしひしと感じるのは、中高年の再就職は日本では容易ではないという、そのことである。本書の議論も、それをどうするかという部分は、大きいのではないか。そしてその結論めいたものを勝手に書いておくと、これからの社会では、「メンバーシップ型」の社会では、中高年の再雇用の問題はむずかしいのではないかというものだろう。というか、若い人たちも含め、年齢で雇用を切っていく「メンバーシップ型」の社会は、年齢による差別という点でも問題があるということであろう。この仕事ができれば何歳でも(また男女いずれでも)OKという「ジョブ型」社会の方が、確かにこれからの時代には合っていそうである。ただ、それをスムーズに転換していくためにはどうしたらいいのか、そのあたりは自分にはよくわからなかった。会社がニーズに応じて、自然とそうなっていくのでもあろうか。
 それにしても、企業の部長クラスの人間が再就職の面接で、何ができるか問われて、「部長ならできます」というのは日本では笑い話であり、その部長とやらは無能というオチなのだろうが、「ジョブ型」社会では、その答えは至極当然であっておかしくないというのは、自分にはちょっとした驚きであった。会社勤めをしていなくとも、我々がいかに「メンバーシップ型」社会で生きているかということを、我ながら痛感させられる話である。例えばソニーがいかに国際的な企業であっても、技術畑の人間を相変らず社長にするのは、それこそ「ガラパゴス的」なのだなあと思わせられる。日本ではなかなか、「経営のプロ」という発想は乏しいのかなとも思うが、まあ僕などが言っても説得的でないですね。
 それからもうひとつ。「ジョブ型」社会は確かによさそうだが、それを採用している欧米では、雇用というのは本当にそれほどよいのだろうか。日本の問題はわかるが、欧米でも例えば若者の雇用は相当に大変そうである。それともそれは、「ジョブ型」「メンバーシップ型」の問題ではないのだろうか。

武谷三男『物理学入門』読了。物理学への入門書ということだが、内容はそれほど高度ではないけれど、問題を簡略化していないので、ある程度は物理学を知っていないと理解はしにくいのではないだろうか。そこがよいところでもあろうが。また、量子力学の解釈でも、かつての通説だったもので、現代では時代遅れのところもある。例えばアインシュタイン量子力学が理解できなかったという紋切り型がそうで、ボーアはむしろ「思考停止」したのであり、真に量子力学について考えたのは(間違っていたにせよ)アインシュタインだったというのが、最近の(これも)通説だろう。海王星の発見のエピソードなども、かなりトリビアル。本書の魅力は、著者の個性なのだろうな。どうせなら、「武谷三段階論」を取り扱った著書を、読んでみたかったようにも思う。