柄谷行人『遊動論』/楊逸『すき・やき』

晴。
音楽を聴く。■ベートーヴェン交響曲第二番ニ長調op.36(チェリビダッケ)。音がきれいなので、チェリビダッケは起き掛けにちょうどいい。それにしても、自分はどうもスタイリッシュなものにアマいのだな。チェリビダッケも、スタイリッシュなところが好きだ。
カルコス。岩波文庫の『文語訳 新約聖書』と、ちくま文庫の『リテラリーゴシック・イン・ジャパン』は買おうと思っていたのだが、既に誰か買っていた。予想外…

柄谷行人『遊動論』読了。柳田国男論。柄谷はどうして、ここで「『敗者』の精神史」(山口昌男)を書いたのか。柄谷はそう思ってはいないかも知れないが、明らかにそう見える。もちろんそれは、近年柄谷行人の影響力が急速に小さくなっていることとは、関係がないだろう。柄谷はそんなに単純な人ではなかろう。柄谷は本書で何をしたいのか。特に、どうして超越論的な(日本人の)「固有信仰」などと云うものに、これほど拘るのか。本書の中でしきりと、柳田が農政学として「協同組合」を重視していたことが強調されるのは、近年の柄谷の問題設定からよくわかるのだが。その「固有信仰」は、「狩猟採集民=山人」の「遊動性」に還元されるわけか。柄谷は、ドゥルーズ=ガタリノマドジーを、「遊牧民的」であるとし、これを現在の「新自由主義」を強化するものとして批判する。これは、あまりに遅れてきた「ニューアカ」批判であろうが、自分にはちょっと意外であった。柄谷もそうしたお祭り騒ぎの首謀者のひとりだったような印象があるから。しかしそれは、「狩猟採集民的」なものだったので、「遊牧民的」なものではなかったというオチなのだろう。そしてさらにそれは、例の柄谷の「交換様式D」に繋がるとされる。
 ただまあ、自分の知識・能力では、本書を批判的 critical に読むことは不可能である。自分は柄谷行人をリスペクトしているし、いまだに読むべき思想家であるという感じも、本書を読んで否定されなかった。本書はかつての柄谷の難解さはないが、きちと理解するのは、かつて以上にむずかしいだろう。自分も自分なりに考えてみたいと思う。

楊逸『すき・やき』読了。日本の大学に入った中国人留学生の女の子が、すき焼き店でバイトしながら、恋愛に取っ掛かろうかというような話。彼女はまったくウブで、留学生仲間の韓国人の男の子(なんとか主人公と付きあおうと懸命)と、すき焼き店の店長(結婚しているのだが主人公を誘っている)に接しつつ、もだえるという展開なのだが、ほとんど恋愛小説になっていない。著者は日本に住む外国人をテーマにした小説を書いてきているが、そういう側面から見ても、小説はあまり成功していないようだ。まあ、中国人留学生と韓国人留学生が、大変ブロークンな日本語で語り合うところなどはおもしろいが、全体としてそれほど比較文化的な落差が強調されるわけでもない。話の面白みも毒もあまりない。ラストも、ここで終ってどうするのだ、というようなものである。敢て判定するなら、小説として失敗作というしかないのではないか。
すき・やき (新潮文庫)

すき・やき (新潮文庫)


ゾフィー・マウトナーのショパン・アルバムを聴く。
最初の「舟唄」op.60 から凡庸。アンダンテ・スピアナートは、曲がつまらないので飛ばす。ノクターンop.27-2 はなかなか聴かせる。このあたりは資質が曲に合っている。ノクターンop.48-1、ポロネーズop.53、マズルカop.17-4, 56-2 はいずれも凡庸。マズルカop.50-3 はまあまあ。最後のスケルツォ第二番op.31は全部聴いてみたが、よく弾いていて、好演と云えないこともないけれど、それほど魅力的と云うわけでもない。全体的に、技術は充分であり、曲をつかんで演奏する力はあって、よいピアニストの必要条件はクリアしているが、あとは「この人の演奏なら聴きたい」と思わせる魅力が必要だろう。
CHOPIN BY SOPHIE MAUTNER

CHOPIN BY SOPHIE MAUTNER

  • アーティスト: Sophie Mautner
  • 出版社/メーカー: Sony
  • 発売日: 1995
  • メディア: CD
↑自分で作った(笑)。リンクは米アマゾンに飛びます。