中沢新一『緑の資本論』再読

曇。
うどん「恵那」にて昼食。

中沢新一『緑の資本論』を読み返す。表題作は「イスラームのために」とあるが、半分以上は西洋資本主義論。「モノとの同盟」からメモしておく。

こんにちの世界で、物質的な増殖はいたるところで、おそるべき速度と量をもって進行しているが、その「物の増殖」を包み込む全体性の直感は失われてしまっているために、モノははじめから物でしかなく、しかもその物は商品となり情報となり貨幣となって、流通とネット上をスピーディに運動していきながら、めまぐるしく変態をとげながらも(商品―貨幣―商品―貨幣―……)価値としての同一性を絶対に失わない。
 このような世界を物質主義と呼んで、それに精神なるものをもって対抗しようとしても無駄なことだ、と私は思う。それよりも重要なのは、物質でもなく精神でもない、モノの深さを知って、それを体験することだ。… (p.187-188)

緑の資本論

緑の資本論


音楽を聴く。■ブラームス:ピアノ協奏曲第二番(ルービンシュタインミュンシュ)。普通の演奏。ルービンシュタインの方向は、ポリーニが完璧な形で到達してしまったので、比べてみるとどうしても粗さが目立つ。また、坂本龍一も言っていたとおり、ルービンシュタインのピアノは音が汚い。この曲の自分のベストは、リヒテルマゼールの指揮で録音したもの。■シューマン:「ゲノフェーファ」序曲(ミュンシュ)。