晴。
ネッツトヨタの担当者来訪。今月の半ば過ぎに、「アクア」納車とのこと。書類を作る。どうやらエコカー補助金は貰えそうだ。
「恵那」にて昼食。
日垣隆『それは違う!』読了。逆説的だが、著者がツイッターで巻き起こした騒動(参照)で著者のことを知り、興味をもった。ファイト溢れる本ではないか。もう随分昔にあったことだが、あの「買ってはいけない」論争の、まさにその「週刊金曜日」批判文が収められているのだ。これを読むと、『買ってはいけない』がいかに欺瞞に満ちた、というか、徹頭徹尾欺瞞しかない本だとわかる。日垣隆の批判はまったく見事なものだ。その日垣氏がこんなことになってしまうとは…
- 作者: 日垣隆
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2001/12
- メディア: 文庫
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本書に書かれていることは、我々も特に東日本大震災のマスコミによる報道ぶりを見ていて、気づいてきたことである。独自に取材をせず、「記者クラブ」に詰めていて、政府や関係機関からの発表をそのまま伝えるだけだといった… 著者はそういう言い方はしていないが、日本のマスコミはジャーナリズムではなく、政府や企業のスポークスマンに過ぎない。あまりにも対象に近すぎて、批判的精神をもっていないわけだ。また、「客観報道」の名の下に無味乾燥な記事を書くだけで、記者の感性が紙面に反映されない。そういう意味で、日本のマスコミの「常識」は、欧米や世界の他の国々のジャーナリストの「非常識」なのである*1。しかしもちろん、欧米のメディアが過ちを犯さないわけでもないし、日本のジャーナリストに志のある人がいないわけではないことも、著者はきちんと指摘している。それは認めた上で、著者は日本のマスコミに警鐘を鳴らすのだ。このままではあなたがたは、読者にそっぽを向かれてしまいますよ、と。
本書には、東日本大震災のときの日本のジャーナリズムの対応の過ち(河北新報や東京新聞などの、例外もあるが)も、はっきりと指摘してある。例えば、南相馬市から逃げ出した日本の記者たち。取材に入ったジャーナリストは、著者だけだったようだ。また、SPEEDIの存在を知りながら、その報道をしなかった日本の記者。皆が取材しているところはするが、誰も取材しなかった大槌町のことは考えもしなかった日本の記者たち。これではやはり、ジャーナリストだとは云えない。
しかしまた、新聞が読者の支持を失って無くなってしまうというのも、自分はまたマズいと思う。ネット時代に上手く対応しながら、新聞はジャーナリスト精神をもって、新たに生まれ変わってもらいたい。幸いにも(と云うべきだろう)、大震災で問題は誰の目にもはっきりとわかるようになった。ここがチャンスなのだ。
- 作者: マーティン・ファクラー
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2012/07/04
- メディア: 新書
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*1:ちなみに本書でも、日本のマスコミより、中国のメディアの方がよくやっていることが書かれている。自分もその通りだと思う。