ミシェル・フーコー『自己と他者の統治』/坪内祐三『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』

晴。
ミシェル・フーコーコレージュ・ド・フランス講義(1982-83年度)『自己と他者の統治』読了。パレーシアについて。古代ギリシアの文献のテクスト分析に、過度に淫している印象を受ける。

坪内祐三『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』読了。
私の体を通り過ぎていった雑誌たち (新潮文庫)

私の体を通り過ぎていった雑誌たち (新潮文庫)


最近頭の中で、シューマントッカータがどうしようもなく鳴っているので、リヒテルの演奏で渇を癒す。何と美しく、考え抜かれた演奏か。ホロヴィッツでも到底太刀打ちできない。これを聴いていると、この曲が、ベートーヴェンをきっちりと踏まえながら、ロマン派の心情を巧みに具体化してみせた傑作だということが、よくわかる。シューマンもまた、ベートーヴェンの優れた「子供たち」だったのだ。そして自分にはいまでも、ベートーヴェンより遥かに新鮮に聞こえる音楽家なのである。
シューマン:ピアノ協奏曲

シューマン:ピアノ協奏曲

エデルマンの弾くバッハを聴いていて、クロマティック・ファンタジーを色々なピアニストで聴きたくなった。五人ほど聴いてみたが、エデルマンの他は、エドウィン・フィッシャーがよく似た感じで気に入った。それから、グレン・グールドはこの曲を嫌っていたが、このグールドの演奏も、丁寧に聴いてみると大変よく考えられたもので、あらためて感動した。テンポが遅くて抒情的な部分が、特にいい。さすがグールドだ。