生を言葉で飾り立てるのを止めよ

日曜日。曇。

午前中、甥っ子の勉強を見る。
昼飯はおばあちゃんのご飯。唐揚げでした。
昼からもお勉強。わたしは計算ミスをいっぱいやらかしますよ。

3『コロナ禍の東京を駆ける』登場人物たちのその後(小林美穂子)〈コロナ禍の東京を駆ける〉 | コロナ禍の東京を駆ける | web岩波
「消えたい。心臓が動き続けるのが許せない」「サイレース睡眠導入剤〕を200錠くらい欲しい。1か月に5日間くらい起きてればいい」わたしはここまでではないけれど、わかる気がする。彼ら彼女らに「じゃあ、死ね」といったら、簡単に生死の境目を超えてしまうかも知れない。こんな「クズ」は生きていても価値がないと思われるかも知れないが、当事者もそう思っているのだ。しかし、「生きる価値」とは笑わせる言葉である。世の中に「生きる価値」のある人間が本当に居るのか、そういう考え方にも一理ないとはいえない。わたしは、「生きる価値」という言葉は、個人的にあまり使いたくない。「価値」がなければ、死ななければならないのか? そんなものがあろうがあるまいが、我々は苦痛な生を生きるしかないのだ。
 「若者たちの『連絡しない問題』」。これは非常に興味深い。彼ら彼女らは、誰とも接触したくないのかも知れない。これも、わたしはそれほどではないが、わかる気がする。「甘え」といえばそうかも知れない。しかし、わたしもあなたも、あるいは気づかないだけで、じつは「甘え社会」に生きているのだ。彼ら彼女らにおいて、それが可視化されているにすぎない。「若者たちの『連絡しない問題』」は、先日見たひきこもり死の番組でも、似たような話があった。どれだけ支援にいっても、みずから心を閉ざしてしまい、わざわざ支援を拒む。
 現代日本においてどうしてここまでコミュニケーションがむずかしくなっているのか。「コミュ障」という言葉がふつうにあるくらいだ。どうして、他人と接触したくないのか。わたしは、それを説明する言葉をまだ所有していない。

「人生が生きるに値することは、庶民なら誰でも知っている」とオーウェルは言った。わたしはこれもまた真実だと思う。生が苦痛であっても。仮に庶民がそう思えなくなっているとすれば、何かひどくおかしなことになっている。わたしは思うが、あんまり生を言葉で飾り立てるのを止めよ。だらしなく、テキトーに生きてりゃいいんだよ、我々は。そして、所与の(つまり、我々に否応なく与えられるしかない)世界を関係性において豊かにせよ。あるいは、所与の世界を関係性において貧困化するな。エリートの考えるべきはそれだろ、えらい先生がたよ。

南博&稲葉雅紀『SDGs』

曇時々晴。

午前中、散歩。





















ある場所を歩くといつも、「山河」の破壊ということを思う。土地の精霊たちの断末摩を感じるのがつらい。これが、精霊たちの死に絶えた場所なら、何ということもない。抽象的な知的遊戯に、わたしだっていつまでも耽っていられる。そんな感じで、歩きながら考えていた。我々の感じるモノとは何か。河合隼雄先生は、源氏物語の「悪霊」について問われて、あんなものはあの時代の現実だったと思いますというような(うろ覚えである)ことを仰っていた。モノであろうが客観的実在であろうが、我々の心に働きかけるという点で何もちがいはない。そもそも「客観的実在」(あるいはカントの「物自体」)そのものを我々の感覚器官で直接捉えることはできず、その「客観性」こそが知的操作による「二次的存在」なのである。そこが、我々のかんちがいしているところだ。

ぴえん。

中沢さんがオイディプスと絡めて真っ直ぐに歩けないということについて語っておられたが、わたしも散歩するとき、カメラを片手にふらふら歩いているのです。さっさっと素早く歩いていない。

ごろごろ。BGM


南博&稲葉雅紀『SDGs』読了。少し前に中公新書でも同タイトルの新刊が出たが、わたしはどちらかというと本書の方が面白かったかなあ。中公新書のやつは SDGs そのものを知るのにはよいのだけれど、SDGs すばらしいに終始して、ちょっと楽観的すぎる気がする。本書の共著者の一方である南氏は、日本政府の SDGs 交渉の首席交渉官だった方だそうであるが、その交渉過程というか、SDGs というものの策定過程が明かしてあって、こういうのはきれいごとでは済まないことがよくわかるし、とてもおもしろい話であった。それは各国のエゴがぶつかる生ぐさい話で、しかしまた各国も問題の重要性がわかっているがゆえにまとまったわけである。それくらい、喫緊の課題なわけで、しかももしかしたら SDGs でも対策としてはまったく甘っちょろいのかも知れないというのが本書では隠していない。その点で、グレタ・トゥーンベリ氏などの若いピュアな主張に対しても真摯さが見られるところがある。
 共著者のもう一歩の稲葉氏は NPO の関係者で、本書では日本国内の、特に地方自治体における SDGs に関連する活動がレポートされている。視野の広い、柔軟で真摯で立派な人材が地方に存在し、活躍していることがわかるが、わたしはこういう人たちには引け目があって、ちょっと苦手かなと思ってしまった。ま、これはわたしのクズぶりを示すものであろう。これから、こういう活動で活躍する若い人たちがたくさん出てくるのだろうな、後期おっさんのわたしに何ができるのだろうなと、考えさせられるのだった。まあ、クズのわたしはわたしで別に精一杯やることはある気がする。若い立派な人たちよ、やることなんざたくさんある筈ですよ。
 いつも書いているけれど、かかる話(SDGs)に類する議論は、既にわたしの若い頃からあったし、問題は認識されていた。しかし、大人になったわたしたちは、そうしたことにほぼまったく目を背けてきたというのが実情である。申し訳ないでは済まない話だけれど、わたしもまた何もせず、何もできず、まったく無力であった。愚かしいことであった。

SDGs――危機の時代の羅針盤 (岩波新書)

SDGs――危機の時代の羅針盤 (岩波新書)

本書を読みながら、わたしは以前から考えている、「知られない、人の役に立たない、しかししなければならない」ということをどこかでずっと考えていた。これは決して正義にはならない。パラドックスであり認めることもできないが、しかしひとつの試金石になるのかなとぼんやり思っていた。これからも、これについては考え続けていくだろう。他人にはどうでもよいことですね。

男女関係とリスク

元日。雪。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

昨晩はエピクテトスを読んで寝た。
落ちこぼれ高校で、落ちこぼれ高校生である夢を見る。私服っていうのが新鮮だった。なぜか山の中で(一般人も参加する)マラソンをやって、友だちが皆んな励ましてくれて頑張る。正月早々よい夢だなあ(笑)。

二階の自室から。

午前中、ずっとぼーっとしていた。
神棚と仏壇にお参りしてから昼食。昼食は神棚から下ろしてきたお酒を口にし、この地方の超シンプル雑煮。

雪の元日だな。

NML で音楽を聴く。■マーラー交響曲第四番で、ソプラノはクリスティーネ・シェーファー、指揮はベルナルト・ハイティンクロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団NML)。じつに美しいマーラー前にも書いたが、ハイティンクには「才能」がなく、余計な「個性」による誇張がまったくない。まさに凡庸なまでにふつうの演奏であり、この曲を表現し切っている。巨匠ハイティンク。それにしても、これは2006年のライブ録音であり、ハイティンクは70代後半であるが、ゆるみとかたるみとかがまったくなく、極度の緊張感もなく、ただただ充実している。その射程も(当り前だが)わたしなど遠く及ばない。すばらしい名演というべきだろう。さて、この録音は音楽ファンに高く評価されているのか、それとも誰も聴かないのか、わたしはまったく知らないが、どちらであっても驚かないところである。

シューベルト交響曲第一番 D82 で、指揮はフランス・ブリュッヘン18世紀オーケストラNML)。この曲はよく知らないのだが、ブリュッヘンの古典的な棒で聴くとなかなかの佳曲だ。ハイドンのピアノ・ソナタ第六十二番 Hob.XVI:52 で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウスNMLMP3 DL)。音の美しさにハッとさせられる。


アメリカン・エキスプレスや三井住友カード用のフィッシングサイトへ誘導する迷惑メールがどんどん来る。これらのカードはもっていないのだが、そんなのお構いなしだ。以前、偶然もあって自分もフィッシングサイトにクレジットカード情報を渡してしまったくらいだから、こういうのはほんとタチが悪い。でも、相手のメールアドレスが如何にも不自然なことが大半だし、パスワードやクレカ情報を渡す前にメール文面で検索すべき。


濱口先生のブログを読んでいたら、「でも一方的な恋愛感情の押し付けも立派なハラスメントではあるんですよね」という文章があって目が引き付けられた。一方的な恋愛感情の押し付け、か。会社の同僚に(特に女性が)「あなたに恋愛感情はない」といって、それでも(特に男性が)粘ったりしたら、それはハラスメントということになるのが現代というわけだ。たぶん粘られた方の(特に)女性は、ただただキモいだけなのだろうな。確かにその気持ちはわからないでもない。それにしても、わたしが恐ろしくて絶対に会社というか、いまの社会では働けないことがよくわかる話である。
 つまるところ、自分が恋愛感情をもっていない人に恋愛感情をもたれること自体、キモい→ハラスメントという時代なのかな。知らないけれど。

それとは関係ないけれど、いまはおっさんというだけでキモい、邪魔、存在自体が悪、氏ねという雰囲気だよね、とおっさんは思う。

男と女の関係は人生を破壊しかねないほどのリスク、それも本質的に人間に与えられた、また与えられるべきリスクだとわたしは思っていたのだが、そういう考えは時代遅れで有害であるというのがいまなのだな。わかった感じ。


okatake さんのブログにこうあった。

「薄ら寒い思いをさせる」記憶が、その流れる時間をいっとき妨げても、また時間は確実に流れる。「つまりは記憶は形骸だけである」と。その「記憶」で現在今ある自分がさいなまれることは、結局はおろかな生き方であろう。

さすが okatake さん、そのとおり。わたし流にいうなら、過去も未来もなく、ただ現在しかない。ベルクソンのいう「持続」である。鈴木大拙は、現在の過去、現在の現在、現在の未来といったが、この方が正確であるかも知れない。


盤珪禅師語録』を読む。

こともなし

曇。
昨晩はエピクテトスを読んで寝た。

霜柱。

 
昼飯前、散歩。無意識を涵養する。

モチとツグミ





 
昼から雪。沈々と降る。

ごろごろ。遠くでファっとなる。

晦日になって、本日の岐阜のコロナ感染者数は80人を超え過去最多。東京では1300人を超える。ワクチンが普及するまでは、本質的解決にはならない。経済も医療も限界に近づいているように見えるが、爆発的感染に至ってしまえば、余計にひどいことになる。この一年間を象徴するような終わりになったな。

夕飯は年越し蕎麦、イワシを焼いたもの、ヤーコンとレタスと生ハムのサラダ、それに昆布巻などのおせち料理


今年一年このブログを読んで下すった方々、ありがとうございました。細々とながら来年も書いていけたらと思っています。またよろしくお願い致します。皆さん、よいお年を。

2020年極私的回顧

今年は何をして、何を見て、何を読んだのか、茫漠としている。ということで、一年間のブログのタイトルを Ruby で取得してみた。

1月
01/01 -> 岸政彦『断片的なものの社会学』
01/02 -> 池内紀『散歩本を散歩する』 / アントナン・アルトー『演劇とその分身』
01/03 -> こともなし
01/04 -> 妹一家来訪
01/05 -> こともなし
01/06 -> 母入院
01/07 -> こともなし
01/08 -> 母手術
01/09 -> 唐澤太輔『南方熊楠』
01/10 -> こともなし
01/11 -> 鈴木大拙『禅問答と悟り』
01/12 -> こともなし
01/13 -> こともなし
01/14 -> 村田喜代子『飛族』
01/15 -> こともなし
01/16 -> 羽海野チカ『3月のライオン 15』 / 本間ひろむ『アルゲリッチとポリーニ』
01/17 -> こともなし
01/18 -> ポリーニの新譜、ショパン・アルバム
01/19 -> 湯川豊『本のなかの旅』
01/20 -> こともなし
01/21 -> 中井正一『日本の美』
01/22 -> こともなし
01/23 -> こともなし
01/24 -> オウィディウス『ヘーローイデス』
01/25 -> こともなし
01/26 -> 母退院
01/27 -> こともなし
01/28 -> 母再入院
01/29 -> 梯久美子『好きになった人』
01/30 -> 母再手術
01/31 -> こともなし
2月
02/01 -> こともなし
02/02 -> こともなし
02/03 -> 細野晴臣『とまっていた時計がまたうごきはじめた』
02/04 -> こともなし
02/05 -> こともなし
02/06 -> 坪内祐三『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない。』
02/07 -> こともなし
02/08 -> こともなし
02/09 -> こともなし
02/10 -> こともなし
02/11 -> アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』
02/12 -> こともなし
02/13 -> 母退院
02/14 -> 吉田秀和『クライバー、チェリビダッケ、バーンスタイン』
02/15 -> こともなし
02/16 -> こともなし
02/17 -> こともなし
02/18 -> こともなし
02/19 -> こともなし
02/20 -> 母再々入院
02/21 -> Windows 8.1 を 10 にアップグレード
02/22 -> Windows 10 と Linux Mint 19.3 のデュアルブート
02/23 -> こともなし
02/24 -> こともなし
02/25 -> 細野晴臣『HOSONO百景』
02/26 -> こともなし
02/27 -> 母再々手術
02/28 -> こともなし
02/29 -> こともなし
3月
03/01 -> こともなし
03/02 -> 石牟礼道子『道子の草文』 / 坪内祐三『古くさいぞ私は』
03/03 -> こともなし
03/04 -> こともなし
03/05 -> プログラミング言語 Julia を使ってみる
03/06 -> こともなし
03/07 -> こともなし
03/08 -> こともなし
03/09 -> こともなし
03/10 -> こともなし
03/11 -> 読書のリハビリ
03/12 -> こともなし
03/13 -> 母退院
03/14 -> こともなし
03/15 -> 弓削達『地中海世界』
03/16 -> こともなし
03/17 -> こともなし
03/18 -> 中沢新一&山極寿一『未来のルーシー』
03/19 -> ミラン・クンデラ『邂逅』
03/20 -> こともなし
03/21 -> NHK-BSプレミアム「坂本龍一:被災地をつなぐオーケストラ」
03/22 -> こともなし
03/23 -> こともなし
03/24 -> こともなし
03/25 -> 武満徹対談集『音楽の庭』
03/26 -> こともなし
03/27 -> 堀江敏幸『戸惑う窓』
03/28 -> 東大作『内戦と平和』
03/29 -> こともなし
03/30 -> こともなし
03/31 -> 木谷明『「無罪」を見抜く』
4月
04/01 -> Ruby で CGI
04/02 -> 市民公園・新境川堤の桜を見たり
04/03 -> こともなし
04/04 -> こともなし
04/05 -> こともなし
04/06 -> こともなし
04/07 -> 鈴木宏昭『類似と思考』
04/08 -> こともなし
04/09 -> こともなし
04/10 -> 田村隆一『詩人の旅』
04/11 -> こともなし
04/12 -> 二槽式洗濯機が壊れました
04/13 -> ジェラール・ド・ネルヴァル『火の娘たち』
04/14 -> こともなし
04/15 -> こともなし
04/16 -> こともなし
04/17 -> こともなし
04/18 -> こともなし
04/19 -> 尾辻克彦『吾輩は猫の友だちである』
04/20 -> こともなし
04/21 -> こともなし
04/22 -> こともなし
04/23 -> Ruby 遊び
04/24 -> ThinkPad L560 落掌
04/25 -> また Ruby 遊び
04/26 -> こともなし
04/27 -> こともなし
04/28 -> 吉田秀和『ブラームス』
04/29 -> こともなし
04/30 -> こともなし
5月
05/01 -> こともなし
05/02 -> プログラミングと Ruby について少し
05/03 -> 『本の虫の本』
05/04 -> こともなし
05/05 -> こともなし
05/06 -> こともなし
05/07 -> こともなし
05/08 -> こともなし
05/09 -> 武満徹対談集『すべての因襲から逃れるために』
05/10 -> 小川隆『中国禅宗史』
05/11 -> 加藤典洋『僕が批評家になったわけ』
05/12 -> こともなし
05/13 -> こともなし
05/14 -> 加藤典洋『僕が批評家になったわけ』再読
05/15 -> 佐々木幹郎『猫には負ける』
05/16 -> こともなし
05/17 -> こともなし
05/18 -> こともなし
05/19 -> 太田光&中沢新一『憲法九条の「損」と「得」』
05/20 -> こともなし
05/21 -> シュトルム『みずうみ/三色すみれ/人形使いのポーレ』
05/22 -> こともなし
05/23 -> こともなし
05/24 -> こともなし
05/25 -> 秋月龍珉『禅仏教とは何か』
05/26 -> ちくま学芸文庫近代日本思想選『西田幾多郎』
05/27 -> こともなし
05/28 -> J・M・クッツェー『鉄の時代』
05/29 -> こともなし
05/30 -> こともなし
05/31 -> 村上春樹『女のいない男たち』 / ジョン・ロールズ『公正としての正義 再説』
6月
06/01 -> こともなし
06/02 -> こともなし
06/03 -> こともなし
06/04 -> 伊藤比呂美『道行きや』
06/05 -> こともなし
06/06 -> こともなし
06/07 -> こともなし
06/08 -> こともなし
06/09 -> こともなし
06/10 -> 加藤聖文『満鉄全史』 / 東浩紀『新対話篇』
06/11 -> こともなし
06/12 -> 萱野稔人『リベラリズムの終わり』 / 加藤典洋&高橋源一郎『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』
06/13 -> 『最後の親鸞』を再読し始める
06/14 -> 中沢さんとコロナ
06/15 -> 魔夜峰央『翔んで埼玉』
06/16 -> こともなし
06/17 -> こともなし
06/18 -> 綿矢りさ『意識のリボン』 / 鈴木大拙『神秘主義』
06/19 -> こともなし
06/20 -> こともなし
06/21 -> 堀江敏幸『郊外へ』
06/22 -> こともなし
06/23 -> こともなし
06/24 -> 高度資本主義と「サブカル」
06/25 -> 関川夏央『人間晩年図巻 1995-99年』
06/26 -> 白石凌海『維摩経の世界』
06/27 -> こともなし
06/28 -> こともなし
06/29 -> 立花隆『武満徹・音楽創造への旅』
06/30 -> 二重の原生的疎外
7月
07/01 -> 東浩紀『哲学の誤配』 / 橋本倫史『市場界隈』
07/02 -> シンクロニシティ
07/03 -> こともなし
07/04 -> こともなし
07/05 -> 熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』
07/06 -> 母診察
07/07 -> こともなし
07/08 -> 関川夏央『人間晩年図巻 1990-94年』
07/09 -> 自由⇒生命の軽視
07/10 -> こともなし
07/11 -> こともなし
07/12 -> こともなし
07/13 -> 武満徹の管弦楽曲集CD
07/14 -> 蔭山宏『カール・シュミット』
07/15 -> 山崎ナオコーラ『かわいい夫』
07/16 -> コンテンツを作る人間は奴隷である / 黒川創『鶴見俊輔伝』
07/17 -> こともなし
07/18 -> こともなし
07/19 -> 「この世界の片隅に」
07/20 -> こともなし
07/21 -> こともなし
07/22 -> こともなし
07/23 -> こともなし
07/24 -> 鈴木大拙『東洋的な見方』 / 安田峰俊『八九六四 ――「天安門事件」は再び起きるか』
07/25 -> 影書房刊『竹内好集』
07/26 -> 松浦壮『量子とはなんだろう』
07/27 -> 志村真幸『南方熊楠のロンドン』
07/28 -> こともなし
07/29 -> こともなし
07/30 -> こともなし
07/31 -> こともなし
8月
08/01 -> こともなし
08/02 -> 中谷功治『ビザンツ帝国』
08/03 -> 量子力学と「イマージュ」 / 柴崎友香『ショートカット』
08/04 -> こともなし
08/05 -> こともなし
08/06 -> 秋田魁新報取材班『イージス・アショアを追う』
08/07 -> こともなし
08/08 -> 『玄侑宗久の生きる力』
08/09 -> こともなし
08/10 -> こともなし
08/11 -> こともなし
08/12 -> 河出書房新社『南方熊楠 開かれる巨人』 / 園田高弘対談集『見える音楽 見えない批評』 / 『ウンベルト・サバ詩集』
08/13 -> お盆
08/14 -> こともなし
08/15 -> 江藤淳的「文学」の核心 / 石田英敬『記号論講義』
08/16 -> こともなし
08/17 -> こともなし
08/18 -> こともなし
08/19 -> 「世界という書物」を直接読む / 斎藤環『ひきこもりから見た未来』
08/20 -> 高度資本主義における我々のとりあえずの探求課題
08/20 -> こともなし
08/21 -> こともなし
08/22 -> 碧海寿広『科学化する仏教』
08/23 -> こともなし
08/24 -> こともなし
08/25 -> 玄侑宗久『なりゆきを生きる』 / ウェンディ・ブラウン『いかにして民主主義は失われていくのか』
08/26 -> 加藤典洋『テクストから遠く離れて』
08/27 -> 坪内祐三『考える人』
08/28 -> こともなし
08/29 -> 藤原彰『餓死(うえじに)した英霊たち』
08/30 -> こともなし
08/31 -> こともなし
9月
09/01 -> こともなし
09/02 -> 母入院
09/03 -> 母手術
09/04 -> 高橋英夫『濃密な夜』
09/05 -> こともなし
09/06 -> こともなし
09/07 -> こともなし
09/08 -> アイドルと物語
09/09 -> こともなし
09/10 -> こともなし
09/11 -> こともなし
09/12 -> 管理社会と「共助」 / 河合隼雄『人の心がつくりだすもの』
09/13 -> こともなし
09/14 -> こともなし
09/15 -> 澁澤龍彦編『石川淳随筆集』
09/16 -> 内田隆三『ミシェル・フーコー』
09/17 -> ドリアン助川『線量計と奥の細道』 / マスコミと権力批判
09/18 -> 斎藤美奈子『学校が教えないほんとうの政治の話』
09/19 -> ヘイト、深沢七郎的単純さ
09/20 -> こともなし
09/21 -> 現実世界 < フィクション総体の世界
09/22 -> 宇野重規『保守主義とは何か』
09/23 -> 母退院
09/24 -> こともなし
09/25 -> こともなし
09/26 -> こともなし
09/27 -> 「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」(アニメ版)
09/28 -> モーパッサン『オルラ/オリーブ園』
09/29 -> ジム・フジーリ『ペット・サウンズ』 / 大地あるいは「母性」の死
09/30 -> こともなし
10月
10/01 -> こともなし
10/02 -> 冷笑系の学者たち
10/03 -> 宇野重規『未来をはじめる』 / 最果タヒ『空が分裂する』
10/04 -> こともなし
10/05 -> こともなし
10/06 -> S.K.ランガー『シンボルの哲学』 / 平等=自分は他者と交換可能
10/07 -> こともなし
10/08 -> 宇野重規『トクヴィル』
10/09 -> こともなし
10/10 -> 人工世界を「カイゼン」していく日本のアニメ / 川端康雄『ジョージ・オーウェル』
10/11 -> こともなし
10/12 -> iPad mini Wi-Fi 64GB 落掌
10/13 -> こともなし
10/14 -> 武満徹著作集落掌
10/15 -> こともなし
10/16 -> 小澤征爾&村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』
10/17 -> こともなし
10/18 -> こともなし
10/19 -> こともなし
10/20 -> こともなし
10/21 -> シュ・シャオメイ『永遠のピアノ』
10/22 -> Ruby 遊び
10/23 -> こともなし
10/24 -> ノストラダムス本について
10/25 -> マッカラーズ『心は孤独な狩人』
10/26 -> サミュエル・ベケット『モロイ』
10/27 -> こともなし
10/28 -> 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
10/29 -> こともなし
10/30 -> こともなし
10/31 -> こともなし
11月
11/01 -> メルロ=ポンティ『精選 シーニュ』
11/02 -> こともなし
11/03 -> 濱口桂一郎&海老原嗣生『働き方改革の世界史』
11/04 -> こともなし
11/05 -> 玄侑宗久『光の山』
11/06 -> 保守の「保守主義」化
11/07 -> こともなし
11/08 -> ジョージ・オーウェル『あなたと原爆』
11/09 -> こともなし
11/10 -> 佐々木孝『原発禍を生きる』 / 反レイシズムの行き着く先
11/11 -> こともなし
11/12 -> オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』
11/13 -> 西田哲学についてのつぶやき、モナドについて / 『西田幾多郎講演集』
11/14 -> こともなし
11/15 -> こともなし
11/16 -> こともなし
11/17 -> 小池澄夫&瀬口昌久『ルクレティウス「事物の本性について」――愉しや、嵐の海に』
11/18 -> こともなし
11/19 -> 仕事に関する矛盾した一命題
11/20 -> こともなし
11/21 -> 『新村出随筆集』
11/22 -> こともなし
11/23 -> こともなし
11/24 -> 白洲正子&河合隼雄『縁は異なもの』
11/25 -> デモクラシーの多忙、アトム化した我々
11/26 -> こともなし
11/27 -> こともなし
11/28 -> こともなし
11/29 -> 『舘野泉の生きる力』
11/30 -> 蟹江憲史『SDGs』
12月
12/01 -> 武満徹を読む / (西洋的)自我素描、「哲学」とは何か / 鷲田清一『メルロ=ポンティ』
12/02 -> 仕事に関する矛盾した一命題、再考
12/03 -> 仕事に関する矛盾した一命題、三考 / 岐阜県美術館で「岸田劉生展」
12/04 -> こともなし
12/05 -> Ruby 遊び
12/06 -> 國分功一郎『はじめてのスピノザ』
12/07 -> こともなし
12/08 -> 町内に道路が通る
12/09 -> 大岡信『詩人・菅原道真』
12/10 -> フィクションと感情移入について、少し
12/11 -> こともなし
12/12 -> 論理の解体と文明
12/13 -> ジョージ・オーウェル『ウィガン波止場への道』
12/14 -> Ruby 遊び
12/15 -> こともなし
12/16 -> こともなし
12/17 -> 武満徹「音、沈黙と測りあえるほどに」
12/18 -> 鈴木大拙『禅百題』
12/19 -> 武満徹と世界の「大きさ」
12/20 -> こともなし
12/21 -> NHKスペシャル「ある、ひきこもりの死」
12/22 -> 榎本渉『僧侶と海商たちの東シナ海』
12/23 -> こともなし
12/24 -> こともなし
12/25 -> こともなし
12/26 -> こともなし
12/27 -> こともなし
12/28 -> 四方田犬彦『愚行の賦』
12/29 -> 中沢新一&内田樹『日本の文脈』
12/30 -> 中野雄『ベートーヴェン』

 
ちなみに、上を生成した Ruby コードはこんな具合。

require "nokogiri"
require "open-uri"

def get_page(url, titles = [])
  body = Nokogiri::HTML.parse(URI.open(url))
  sleep(1)
  titles = body.css("a.entry-title-link").map {|node|
    date = node.attribute("href").value.split("/")[-3..-2].join("/")
    [date, node.text]
  }.reverse + titles
  pager_node = body.css("div.pager span.pager-next a")&.at(0)
  if pager_node&.text&.strip == "次のページ"
    get_page(pager_node.attribute("href").value, titles)
  else
    titles
  end
end

(1..12).each do |month|
  url = "http://obelisk2.hatenablog.com/archive/2020/#{month}"
  puts "#{month}"
  puts get_page(url).map { |date, title| "#{date} -> #{title}" }
end

意外と短いでしょ?


さて、今年はまずはコロナ禍の年であり、家族的には老母の四度の入院と手術の年であったが、前者はあまりにも公的で、後者はプライベートな話なので措こう。そう、自分の精神については、今年は多少なりとも前進した実感がある。が、これは自分でそう思っているだけかも知れないし、一方で本を読まなくなった(読めなくなった)のは老化かも知れない。今年は何冊読んだかなというので、上のコードを多少改変して Ruby に数えさせてみた。

 1月  12冊
 2月   5冊
 3月   9冊
 4月   5冊
 5月  13冊
 6月  13冊
 7月  12冊
 8月  15冊
 9月   9冊
10月  10冊
11月  12冊
12月   9冊

合計 124冊

ちなみにコードはこんな具合(改変したところだけ)。

total = 0
(1..12).each do |month|
  url = "http://obelisk2.hatenablog.com/archive/2020/#{month}"
  print "%2d月 " % month
  c = get_page(url).sum {|date, title| title.count("") }
  puts "%3d冊" % c
  total += c
end
puts "\n合計 #{total}"

同じコードで2019年を数えさせてみると210冊、2018年は226冊なので、今年になって急減していることがわかる。

冊数だけでない、記憶に残った本もあまりなかった。個人的には武満さん関連の本が印象的だった。対談集2冊を読んだし、『武満徹著作集』全五巻を古書で購入したりしたが、何と言っても立花隆武満徹・音楽創造への旅』がすばらしい本だった。個人的に、立花隆氏の印象が一変してしまった本でもある。大著であり読むのは大変だが、武満さんに興味のある方にはお勧めできるものだ。

武満徹・音楽創造への旅

武満徹・音楽創造への旅

  • 作者:立花 隆
  • 発売日: 2016/02/20
  • メディア: 単行本
 
音楽関係では、シュ・シャオメイの『永遠のピアノ』もよかった。シュ・シャオメイは中国人で、若くして「文化大革命」に巻き込まれたピアニストであり、そこからバッハの演奏家として世界的に認められるまでの自伝である。NML(Naxos Music Library)で彼女のピアノを聴きもした。現代でもこのような真摯な演奏家が存在するのかという感を覚える。 
オーウェルについては、川端康雄『ジョージ・オーウェル』を読んで読みたくなり、『あなたと原爆』を読んで、その極めて静かな声で語られる政治的言説に驚嘆した。『ウィガン波止場への道』も感心したし、まだまだオーウェルは読んでみたい。 

それから、今年は思うところあってアニメを少し意識的に見てみた。「ソードアート・オンライン」は第二期も含めて見たし、シリーズはこれからも娯楽として見るだろう。「魔法少女まどか☆マギカ」や「エヴァンゲリオン」劇場版は、「古典」を見ておこうという感じ。個人的にいちばん印象的だったのは、「青春ブタ野郎」のシリーズで、特に劇場版はその展開がトラウマになるくらいのインパクトだった。すごく繊細なアニメだったと思う。

中野雄『ベートーヴェン』

曇。夜の間に降ったらしい。
とてもおもしろくてよくできた夢を見る。そのまま短篇アニメか小説にできるくらい。あんまりあざやかで印象的だったので、目覚める随分前に見たのだけれど、起きるまで鮮明に覚えていた。最後は自分で修正というか、アイデアを入れながら見ていた。繊細なフィクション的夢だったが、わたしの心の深いところに関係しているにちがいない。

NML で音楽を聴く。■ハイドンのピアノ・ソナタ第五十三番 Hob.XVI:34 で、ピアノはヴィルヘルム・バックハウスNMLMP3 DL)。

肉屋。スーパー。どちらもたくさんのお客さん。

晴。
昼過ぎカルコス。新書、文庫本など購入。

散歩しようかと思ったが、風が強く冷たく断念。

中野雄『ベートーヴェン』読了。

中沢新一&内田樹『日本の文脈』

曇。

午前中、甥っ子の勉強を見る。入試問題。
昼飯はおばあちゃんのご飯。
午後もお勉強。脳トレしすぎて痴呆になりそう。

プリペイドカードにチャージするためスーパーへ。

夜。
中沢新一内田樹『日本の文脈』(再)読了。対談集。わたしのこれまで生きてきて、師というものと出会わなかった。というか、師を求めなかったところがあるのだろう。師から伝統というものが直接わたしに流れ込むことがなかった。言っても詮ないことだが、自分に感じている(精神の)貧しさは、そこにもあるのだと思う。まあ、だからどうということもないのであるが。

日本の文脈

日本の文脈

自分は普段は結構ほがらかな人なのだと思うが、この場所ではあんまりそうではなさそうですね(笑)。時代が時代だから、仕方のないところもあるけれど。内田樹なんて、最近怒ってかむかついてか悲観してかばかりじゃん。国全体が、貧すれば鈍するということなのだろうか。いまの時代、いつもほがらかでいられる人は、途轍もない達人でなければ、ただの勘違いの人ではないかとも思われる。それでもほがらかでいられれば、いるべきであろう。武満さんは、絶望的な認識を抱きながら、希望をもつべきと言った。

本書の対談はほぼ震災前で、雰囲気がいまと全然ちがう。やはり震災と「失われた20年」、それにいまのコロナ禍で、ひどく暗鬱な時代になったことを痛感する。これからの時代はITが中心になっていくのだろうが、日本の「IT敗戦」もひどいものだ。そして、文科省はこの国の学問を破壊し、それは既に数値化できるところまで進んでいてなのに方針は転換されない。さて、希望は若い人たちにあるのだろうが、ま、わたしは若い人たちのことはよく知らないし、そもそも自分のことで手一杯だ。いや、わたしごときがこんな主語の大きなことをいったって仕方ないのだが。

科学的、理知的な言葉ばかり飛び交っている。感情が貧しい。深みをもった言葉がない。いや、そんなものは別にたくさんなくてもよいのだが、それにしたって、どこかで聞いたような言葉ばかりではないか。何もない。ある引きこもり死の人は、かつてのノートに「働いて働いて、心の中はからっぽ」と書き付けていたっけ。

わたしはこのところ、次第にネット上への共感能力を失ってきていることを感じる。いったい自分は何に苛立つのか。また、読めない本がほんとに増えた。わたしのたんなる老化ゆえであれば別に大した話ではない。我々の心が貧しいのは別に驚くべきことではないのかも知れないが、その氾濫がネットや書籍で可視化されるのはつらい。そして、そのネットこそが我々のリアルになってきているのだ。

まあしかし、粘り強くやっていくしか仕方がないな。凡人に自分を耕し鍛えていくこと以外、何ができようか。死ぬまで修行である。