湯川豊『本のなかの旅』

日曜日。晴。
早起き。昨日のポリーニが祟って、しんどくて起きてしまった。起きてからも一時間くらい、対称性の回復に努める。ま、ぼーっとしていただけですけれどね。ポリーニはすごいだけに、壊れっぷりもひどい。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏チェロ組曲第二番 BWV1008 で、チェロは藤原真理NMLCD)。■ハイドンのピアノ・ソナタ第六番 Hob.XVI:10 で、ピアノはオリヴィエ・カヴェー(NMLCD)。■イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第二番 op.27-2 で、ヴァイオリンはクリストフ・バラティ(NMLCD)。■エルガーの「序奏とアレグロ」 op.47 で、指揮はベルナルト・ハイティンクロンドン・フィルハーモニー管弦楽団NML)。意外とおもしろい曲だったのだな。

Introduction & Allegro / Our Hunting Fathers

Introduction & Allegro / Our Hunting Fathers

 
洗濯、風呂掃除。
 
図書館。
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いい天気だったので、市民公園を歩いて一周する。ふつうの風景。
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帰りにカルコス。老母用の雑誌を買う。ドラッグストア。

昼食は雑煮。

曇。
面会。熱と痛みはあいかわらず。あとは悪くもなし。
マックスバリュに寄る。

夕食はキムチ鍋。デザートはりんご。

図書館から借りてきた、湯川豊『本のなかの旅』読了。まずまずおもしろかった。

本のなかの旅

本のなかの旅

 
中井正一を読む。

ポリーニの新譜、ショパン・アルバム

曇。
昨晩は深夜まで AOJ をやっていて眠い。

NML で音楽を聴く。■バッハのフルート・ソナタ イ長調 BWV1032 で、テナー・リコーダーはミカラ・ペトリ、ヴィオラ・ダ・ガンバヒレ・パール、チェンバロはマハン・エスファハニ(NMLMP3 DL)。

午前中、甥っ子の勉強を見る。

妹一家が来てくれる。皆んなで、珈琲工房ひぐち北一色店にて昼食。
面会。顔色がだいぶよくなった。午前中は微熱もないらしい。微熱は溜っている水が少し化膿してるのではないかとのこと。それほどひどいことはないようである。あとは座るとかなり痛いこと。
談話室で皆んなに面会。孫(わたしからすると甥)たちにも顔を見せる。

帰宅して少し散歩。なんかやたらいろんな鳥がいた。コンデジ(コンパクトデジタルカメラ)の限界ですが。
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カワセミはしばしば見る(今日も三回くらい見た)が、滅多に撮れない(光学ズーム+デジタルズーム+切り抜きなので、粒子がめちゃめちゃ粗いですが)。キセキレイはかつてはよく見たが、最近ではあまり見なくなった。しかし、見る日は見るものだなあ。

■バッハの無伴奏チェロ組曲第一番 BWV1007 で、チェロは藤原真理NML)。

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)

 
下の甥っ子も勉強道具をもってきて、老父と勉強している。結構長いことやっていたよ。へーという感じ。

皆んなで夕食は、餃子の王将岐南店。土曜の夜なので、すごい混雑だった。やたらとたくさん注文して皆んなで腹いっぱい食った。わたしは生ビールもいただきました。義弟にごちそうになって、ありがとうございました。わいわいやって楽しく食べたので、老母も早く帰って来られるといいなと思った。

妹一家帰る。

老父が風呂を沸かそうとしたら、またわたしが風呂掃除を忘れていた。マヌケだなあ。ああ、今日は朝から甥っ子が来たから、すっかり忘れていたのだ。さっと洗って入ってもらう。

Nocturnes/Mazurkas/Berceu

Nocturnes/Mazurkas/Berceu

  • アーティスト:F. Chopin
  • 出版社/メーカー: Deutsche Grammophon
  • 発売日: 2019/01/24
  • メディア: CD
ポリーニの新譜落掌。2018年、ポリーニが76歳のときの録音である。50分間があっという間だった。さて、何を書こうか。
 聴いていていちばん思ったのは、ピアノの音色とそのコントロールということであった。現代ピアニズムの音色というのはミケランジェリが造り、ポリーニが受け継いだとわたしは思っているが、いまのピアニストでそれがこれほどの高みに到達している人は他にいないと断言していいと思う。ポリーニはいつ頃からか(80年代に入ってからといえるだろう)ひとつのアルバムごとに各々固有の音色で統一するようになったが、このアルバムでも例外ではない。自分の感じたところでは、形容矛盾だが、「やわらかい水晶」とでもいうような音色のように聴いた。やわらかいが、冷たく透明で美しい。ポリーニの技巧は衰えたといわれるが、それでも、ここまで音色のコントロールをしているピアニストはいま他にいないから、そんなのはあまり意味がない評言である。吉田秀和さんがいった「現代ピアニズム」というのは、ポリーニをもって途絶えることだろう。
 このアルバムはショパンの、それも op.55, op.56, op.57, op.58 をその順に弾くというもので、ポリーニらしい。ショパンが三十代半ばの頃の作曲に係る。おもしろく聴いたのは、最初の二つのノクターン op.55 と、三つのマズルカ op.56 で、ポリーニがとても知的であり、明晰でクールであるのはちっとも変っていないと思った。まさに完璧な譜読みで(ってわたしがわかるわけもないのだが)、まるで初めて聴く曲のように隅々まで光がゆき届いている。「明晰」という語が光に関係する言語がいくらかあるが、なるほどと思わされる感じがするくらいである。マズルカのような音楽をこのように弾くというのは、これはおもしろいもので、ポリーニも料理のし甲斐があるだろう。「子守歌」 op.57 は再録音だが、ポリーニのアプローチは基本的に変っていないと思った。
 アルバムのメインディッシュは最後のピアノ・ソナタ第三番 op.58 であり、ポリーニは40代の初めにこの曲を録音している。どうしても比較せざるを得ないが、複雑な気持ちだった。アプローチはここでも基本的に同じである。この演奏だけ聴けば、他に(音色のコントロールも含めて)ここまで弾ける、構築できるピアニストは、いま他にいない。しかし、かつての録音に比べれば、わずかに痩せている。技巧のことなどまったく念頭に浮かばなかったかつての録音は、思えば超絶的な高みと完璧さにあったのだとわかる。と、比較しなければ、すばらしいのだが。スケルツォは、少し聴くのがつらい気がした。逆にラルゴ(ゆっくりしたテンポということである)では技術を思うことはないので、たかが8分足らずでポリーニなら永遠を表現できるのだと思った。
 終曲プレスト・ノン・タントの旧録音は吉田秀和さんが「圧倒された」というクール極まりない名演であったが、ここでのポリーニは頑張っていた。頑張りというようなものを思わせたのは、このアルバムでここだけではないか。よく弾けていて、感動的といってもよい。ポリーニの音楽として、それでよいのか知らないが。

こともなし

曇。寒い。それでも、例年ほどではないと思う。

NML で音楽を聴く。■ハイドンのピアノ・ソナタ第十三番 Hob.XVI:6 で、ピアノはオリヴィエ・カヴェー(NMLCD)。■バッハのフルート・ソナタ ロ短調 BWV1030 で、テナー・リコーダーはミカラ・ペトリ、ヴィオラ・ダ・ガンバヒレ・パール、チェンバロはマハン・エスファハニ(NMLMP3 DL)。■スカルラッティソナタ K.76, K.77, K.78, K.79, K.80 で、チェンバロスコット・ロスNML)。■ドビュッシー前奏曲集第一巻で、ピアノはマルセル・メイエ(NML)。

Piano Works Preludes

Piano Works Preludes

  • アーティスト:Debussy / Meyer
  • 出版社/メーカー: Urania Records
  • 発売日: 2020/01/03
  • メディア: CD
 
洗濯、風呂掃除。

昼食はカレー鍋の残りを雑炊に。煮すぎて鍋の底が焦げた(笑)。あと、初めて味噌汁を作ってみる。めちゃめちゃテキトーに作ったが、まあ食べられたのではないか。

面会。今日は管の類いがほぼすべて外せていたのがよかった。眠るのもまずは眠れるようになったようだ。あとは痛みかな。
帰りにマックスバリュへ寄るも、いつものスーパーへ行き直す。

ちょっと AOJ をやる。

夕食は鱈ちり鍋。だし昆布をあらかじめ浸しておくのを忘れたが、大丈夫だった(笑)。だいぶテキトーな鍋だけれどね。デザートはりんご。

夜は AOJ をやっていた(参照)。

羽海野チカ『3月のライオン 15』 / 本間ひろむ『アルゲリッチとポリーニ』

曇。
昨晩寝る前はひさしぶりに AOJ をやっていた。

NML で音楽を聴く。■バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第一番 BWV1001 で、ヴァイオリンはアレクサンダー・シュナイダー(NML)。

Digital Booklet: Schneider Plays Bach - Sonatas & Partitas

Digital Booklet: Schneider Plays Bach - Sonatas & Partitas

  • アーティスト:Alexander Schneider
  • 出版社/メーカー: Biddulph
  • 発売日: 2019/11/29
  • メディア: MP3 ダウンロード
モーツァルトのロンド ニ長調 K.485、ロンド イ短調 K.511 で、ピアノは稲岡千架(NMLMP3 DL)。

ドラッグストア。スーパー。

昼食は昨日の寄せ鍋の残りで雑炊、キムチ、あと、何か景品でもらってきた缶詰(牛すじの煮込みとかいうやつ)。

面会。微熱が取れないのがあんまりよくないが、少しづつはよくなっているようだ。しかしそうなると、いままではあまり気にしていなかった痛みが気になるという。眠剤をもらって、昨晩はそこそこまとまって寝られたのはよかった。老父が「日薬(ひぐすり)」だと言ったが、確かにそう。

図書館。イオンモールで買い物。ここにしかないものなどを買う。ATM。
ひさしぶりにカルコス。一月ぶりか、長いこと行っていなかったな。文庫新刊など、いろいろ買う。

帰宅したら、老父がヤーコンとサニーレタスのサラダみたいなのを作って、おいてあった。めずらしいこともあるもんだ(笑)。まあ生野菜が食べたかったらしいが、ありがとうございます。

夕食はカレー鍋。サラダもドレッシングとかマヨネーズで食ったらなかなかいけたよ。デザートはプリン。

羽海野チカ3月のライオン 15』読了。いま買っているマンガはこれだけ。いいマンガだなあ。

3月のライオン 15 (ヤングアニマルコミックス)

3月のライオン 15 (ヤングアニマルコミックス)

 
本間ひろむアルゲリッチポリーニ』読了。まずまずおもしろかったが、ちょっとジャーナリスティックかな。まあ、だからいけないというわけでもないのだが。俗っぽいところが、かえっておもしろいとも言えるかも知れない。音楽とは直接関係のない話が多くて、ゴシップ的だが、へえと思わせられないでもない。本書を読んでアマゾンで検索してみたら、ポリーニの新譜が出ていることを知ったので、一応注文した。ショパン・アルバムである。CD を一回だけ聴いてお終いにするかも知れないが、ポリーニの新譜ときたら買わないわけにはいかないのだ(ベートーヴェンの再録音も二月に発売されるらしい)。ポリーニはいつからか壊れてしまったが、それの確認もある。
 アルゲリッチは私生活の話が、これも週刊誌的で興味深かった。アルゲリッチのことだから、そういうのも音楽に関係ないことはないだろう。アルゲリッチは癌で何回も手術しているのだな。それは知らなかった。まあ、さらっと読める本でした。 
「南方二書」を読む。

こともなし

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻 ~ BWV868-869 で、ピアノはアレクサンドラ・パパステファノウ(NMLCD)。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第八番 K.310 で、ピアノは稲岡千架(NMLMP3 DL)。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十四番 op.131 で、演奏はミロ・クァルテット(NMLCD)。聴き応えがあった。さすがに名曲中の名曲。

洗濯、風呂掃除。

ブリテンの幻想曲 op.2 で、オーボエハインツ・ホリガー、他(NMLCD)。■ラヴェルのヴァイオリン・ソナタ ト長調で、ヴァイオリンはクリストフ・バラティ、ピアノはクララ・ヴュルツ(NMLCD)。素直で美しい演奏。なかなかよいアルバムだったな。■ドビュッシーの「子供の領分」で、ピアノはアレック・カリス(NML)。

Etudes / Children's Corner

Etudes / Children's Corner

  • アーティスト:Debussy / Karis
  • 出版社/メーカー: Bridge
  • 発売日: 2020/01/03
  • メディア: CD

 

昼食は卵とほうれん草の炒めもの、インスタント味噌汁、明太子。

昼食後、散歩。
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面会。手術から一週間が経った。今日はだいぶ長い時間しゃべった。何故か午後から熱が出るのがつらいらしい。食事はそれなりに食べているようだ。
老母のブログを更新しておけというので、いうとおりにする。

インスタントコーヒーを飲みながら Pocky を囓る。この一週間はこんなことも忘れていたな。

ブログのサイドバーのカテゴリーに「写真」を作る。まとめて見る

夕食は寄せ鍋。ふたりで 3~4 人分の市販のスープを使っているので、塩味が結構濃かった。なんでも老父はその方がうまいんだって。

ハイドンのピアノ・ソナタ第五十番 Hob.XVI:37 で、ピアノはオリヴィエ・カヴェー(NML)。

Haydn & Scarlatti: Chiaro e scuro by Olivier Cave

Haydn & Scarlatti: Chiaro e scuro by Olivier Cave

  • アーティスト:Olivier Cave
  • 出版社/メーカー: Aeon
  • メディア: CD
■イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第一番 op.27-1 で、ヴァイオリンはクリストフ・バラティ(NML)。
Kristóf Baráti - Eugene Ysaye Solo Sonatas

Kristóf Baráti - Eugene Ysaye Solo Sonatas

  • アーティスト:E. Ysaye
  • 出版社/メーカー: Brilliant Classics
  • 発売日: 2013/08/27
  • メディア: CD
■ロディオン・コンスタンチノヴィチ・シチェドリン(1932-)の「カルメン組曲(G. ビゼーによる)」で、指揮はマリス・ヤンソンスバイエルン放送交響楽団NML)。
シチェドリン:カルメン組曲/レスピーギ:ローマの松

シチェドリン:カルメン組曲/レスピーギ:ローマの松

村田喜代子『飛族』

晴。
よく寝た。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第九番 K.311 で、ピアノは稲岡千架(NMLMP3 DL)。悪くない。■バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻 ~ BWV864-867 で、ピアノはアレクサンドラ・パパステファノウ(NMLCD)。■ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第一番 op.5-1 で、チェロはミッシャ・マイスキー、ピアノはマルタ・アルゲリッチNMLCD)。マイスキーアルゲリッチもさすがという他ない。すごいものだな。

午前中、スーパー。

斎藤美奈子さんのウェブの文章を読んでいたら、斎藤さんが以下の文章を(わりと肯定的に)引用していた。引用の一部を孫引きする。

日本国憲法に、これから先、二度と戦争をしないという、国と日本国民の強い決意として、第9条が定められたのです

http://www.webchikuma.jp/articles/-/1918

これは(よくありそうな)大変な誤解で、日本国憲法の第九条は、「日本国民の強い決意として」定められたわけではないし、その前の語の「国」は、アメリカである。日本国憲法は基本的にかなりよいものだが、作ったのは GHQ である。まあ、だからどうだというわけではないのだが。
 わたしの改憲に対するスタンスは、伊勢崎賢治さんのそれにほぼ賛成である。わたしはサヨクである筈だが、基本的に改憲論者であるといってよい。しかし、「安倍改憲」は最悪だと思っている。問題の隠蔽に他ならないからだ。わたしが問題だと思うのは、日本がアメリカとの関係において、主権をもっていないということである(これは判例などから証明可能だ)。その問題系の一部として(というほかない)、自衛隊は軍法をもたない(「自衛隊は軍隊でない」ということになっているので)という大欠陥があるゆえ、国際法違反の状態にあるのが事実である。一国の独立した軍隊となっていないのである。このままだと、例えば自衛隊員が任務中、外国で現地の民間人を誤って射殺したような場合、国際法に則った対処ができないことになっている。また、現状だと日本はアメリカの戦争に、自動的に参加しなければ場合が出てくる。これも大問題である。仮に日米同盟が必要なものであるとしても、その関係は対等でなければならない。いまのままでは、アメリカには(当然)主権があるが、日本はアメリカに対して主権をもたないがゆえに、対等でないのである。

サヨクとして考えると、憲法第九条によって日本の左翼が事実を隠蔽する構造を作り出してきたのがいちばんの問題のような気がする。「憲法第九条を守る=平和」という構造である。その意味で、保守乃至は右翼と事実上の共同戦線を張ってきたとすら、いえないことはないと思うのだ。主権がない国家というのは異常であり、国民の思考力を奪う。そして左翼はまた、第九条が国際的な人権の問題にも関わっていることを隠蔽してきたのである。

かつて柄谷行人が「憲法第九条は我々の無意識である、ゆえに改憲は決して成功しない」というようなことを書いているのを読んでわたしは笑ったが、ある意味で柄谷行人は正しい。我々の隠蔽体質は、無意識のレヴェルに及んでいるといってよい気がする。

昼食は妹が作っておいてくれた味噌汁に、餅を放り込んだもの。

面会。老父が書類の手続き。昨晩は初めて朝まで眠れたそうで、これはよかった。まだ熱があるのはしんどいようだが、少しづつよくなっているようである。顔に血の気が戻ってきた感じ。歩くのも、頑張って歩いているそうだ。退院はまだまだ先のようだが、ぼちぼちよくなっていけばいい。
帰りにスーパー。肉屋。

夕方、ごろごろぼーっとする。

夕食は常夜鍋。まあおいしかったのではないかな。二人でよく食べた。デザートはプリン。毎日鍋料理なのは、老母の入れ知恵(?)である。日々寒いからね。

老父が風呂をやろうとしたら、わたしの役割の風呂掃除が今日はまだだった(笑)。ぼーっとしてんなあ。すぐに浴槽を洗って、で入ってもらう。

図書館から借りてきた、村田喜代子『飛族』読了。老母から入院前に廻してもらった本。なかなかおもしろかった。著者はたまたま老母と同年の生まれなので、そう言ったら叱られるかも知れないが、おばあさんの小説家ということか。しかし主人公の老婆たちはそれよりもずっと高齢だ。二人の老婆は、崖の上で「鳥踊り」を踊っている。あたかも鳥のように、崖っぷちから飛び出しそうだ。老婆ふたりも、語り手の女性も、いつかはこの東シナ海の小島からいなくなるだろう。そして、すべては原初の世界に帰っていくのか。それとも、密入国者たちの住処になるのか。わたしは、人間がすべていなくなった世界は、原初の世界に戻っていくのがよいと思っている。人間は、他の動植物を巻き添えにして滅びていくべきではない。とよくわからない光景が見えてきているが、わたしの中にある、プリミティブへの志向がそうさせるのであろう。もっとも、もはや自分は文明の毒の中で生きていくしかないことがわかっている。アナーキスト的なたくましさは、わたしにはない。そうすると、まったく無意味な人間ということになろう、わたしは。本書の老婆たちは、まだ自分で生きてゆける。アワビの宝庫を知っているから、やろうと思えば海に潜って数百万円を稼ぐことだって可能だ。わたしにはそのようなたくましさはないし、かといって急速に拡大する人工世界で生きていくのもかなわないという気もある。そのような、宙ぶらりんの世代、ということになるか。

飛族

飛族

本書には老婆たちの象徴するいまではほとんど失われた世界と、現実の行政・政治的な世界の双方が書き込んであるが、そこが新しいといえば新しいような気もするし、中途半端だという感じもしないではない。いずれにせよ、石牟礼さんを思わせるところはあるが(それは昨日も指摘した)、石牟礼さんほどの深みには達していないように読んだ。もっとも、それは意図的にそうされたのかも知れないが。

こともなし

祝日(成人の日)。昧爽起床。
僕は夢の中に「いいなづけ」がいるのだが、また彼女が夢に出てきた。まあ独身の後期おっさんにいいなづけも何もあったものではないので、ユングのいう「アニマ」でもあるのだろうか。彼女のイメージは結構はっきりしていて、現実に顔を見てわかるとまではいかないだろうが、雰囲気はわかると思うし、性格はかなりわかっている。もちろん、過去に現実に出会った女性ではない。齢は二十代後半くらいか、その夢に一緒に出ている自分も、もっと若いのかも知れない。変な話だが、極「ふつう」の女性である。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第七番 K.309 で、ピアノは稲岡千架(NML)。悪くない。

Mozart: Rondos & Sonatas

Mozart: Rondos & Sonatas

  • 発売日: 2017/05/05
  • メディア: MP3 ダウンロード
■バッハのフルート・ソナタ変ホ長調 BWV1031 で、テナー・リコーダーはミカラ・ペトリ、ヴィオラ・ダ・ガンバヒレ・パール、チェンバロはマハン・エスファハニ(NMLMP3 DL)。■ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタ ト短調で、ヴァイオリンはクリストフ・バラティ、ピアノはクララ・ヴュルツ(NML)。
French Violin Sonatas

French Violin Sonatas

  • アーティスト:Debussy / Barati / Wurtz
  • 出版社/メーカー: Brilliant Classics
  • 発売日: 2020/02/07
  • メディア: CD

 

村田喜代子『飛族』を読む。なかなかおもしろい。舞台は福岡県の東シナ海上の小島たちであり、なんとなく石牟礼さんのことがちょっと思い出される(石牟礼さんは、もちろん熊本だったが、九州ということで)。小島にたった二人で住む九十歳近い老婆らと、役場の国境防備の話が対比して書かれている。つまりは、我々はたとえどんなに田舎で簡素に暮らしたくても、国家や文明から放っておいてはもらえないということだ。老婆たちは月数万円で暮らせるが、島への定期船の運行には何千万円という維持費がかかる。しかし行政は、たった二人の老婆でも、島にいてくれた方がよいという。無人島にすると、勝手に密入国者に入り込まれたり、引いては国境の問題まで出てくるから。嫌な話だが、いまの時代、これに類することから逃れることは誰にもできない。外堀も内堀も埋められてしまったのが現在だ。

しかしわたしも、インターネットを常用して簡素な田舎暮らしもないものだが。

曇。
■フランクのヴァイオリン・ソナタ イ長調で、ヴァイオリンはクリストフ・バラティ、ピアノはクララ・ヴュルツ(NML)。なかなかよかった。素直なヴァイオリンで、心に沁みた。

洗濯、風呂掃除。

昼食は昨日のキムチ鍋の残りを雑炊にした。

面会。寝ていることが多いので腰が痛くなるそうではあるが(妹が湿布薬を届けた)、今日から食事の許可が出て、とりあえずプリンが食べられた。だいぶうれしかったようである。少しづつ先へ進めているようで、今日も四人で一時間くらいしゃべった。帰りは途中まで歩いて見送ってくれた。このままいけるとよいな。
妹帰る。ありがとうございました。

夕方、しばらく休息。ごろごろする。

夕食は鱈ちり鍋と、妹の作っておいてくれた味噌汁。

佐藤文隆先生の『量子力学は世界を記述できるか』を読み始める。第二章まで読んだが、素直に題名どおりという本ではない。というか、先生の頭がよすぎて、何だかむずかしい本になっている。本書は物理の本ではなく、むしろ「科学の本」であるが、そういっても他人に伝わりませんよね。まあ、本書の説明はわたしの能力を超えている。それにしても、最低でもわたし程度の物理学の知識がないともうちんぷんかんぷんな筈だから、あまりにも読者を選びすぎる本だ。
 どうでもいいのだが、第二章の最後に「公共世界が確率合意性を受容するようになっていく可能性はある」(p.80)という文章があるけれど、なるほど、佐藤先生ですら10年前(の本である)でいまだにこのような段階だったのだなというのは感慨深い。いまでは若い人たちは基本的に「リスク」から人生を眺めており、近年急速に、佐藤先生の文章は現実化したことになる。もちろん「リスク」というのは、確率的思考であり、我々の人生はつまりは確率の束と考えられるようになったのである。まったく、時代の流れの速さには、時代遅れの人間としては驚かされる。

それから、佐藤先生でも量子力学の「遅延選択実験」は「驚き」(p.51)であったそうだが、わたしもこの実験をどう考えたらよいのか、ちょっとわからない。量子力学では一般に「観測」が対象系を「擾乱」するが、一旦「観測」しても、その観測の効果をあとで打ち消せば、対象系は「擾乱」されないというのである。見方によっては過去を改変することが可能なようにも受け取れる。これは、量子力学の理論自体から自明に引き出せる実験結果なのか、わたしごときではよくわからないわけであるが。