晴。暑い。
ぐーぐー寝る。起きなくてはいけなくておもしろい夢が中断したのが残念。もう中身は忘れたが。
昼から医療器具販売店。
図書館。
春陽堂書店の HP、岡崎武志さんの新刊の惹句に「ほんとうのオトナは退屈なんて知らない!」とあって畏れ入る。僕もいつかほんとうのオトナになってみたい、かなあ?
早寝。
晴。
『大乗起信論』を読み下しで読み返してみたら全然わからなかった。さすがにもう少し読めるようになりたいなあ。
ユルゲン・ハーバーマス『デモクラシーか 資本主義か』読了。副題「危機のなかのヨーロッパ」。世界が緊密に結び合っている現在でも、我々には EU は遠い。そして、ハーバーマス(あるいはヨーロッパの知識人)にとってもアジアは遠いし、極東はさらに遠い。ハーバーマスにとっては、中国や日本は外部における一種の抽象的な「脅威」以上のものではなく、本書に「日本」の文字は極少にしか存在しない。ま、EU に始まり EU に終わる本である。
ハーバーマスは「民主主義」に常に依拠する(あるいは依拠しようとする)が、ではその担い手である「市民」とはいったい何ものなのか。そんなことをいうとわたしの無知を曝け出す以上のものではないが、例えばわたしは「市民」なのだろうか。わたしは時々多少のお勉強をするが、わたしごときに何もかも正確に判断することは不可能である。というか、ハーバーマスそれ自体、わたしごときにはあまりにも難解なのだ。いったい「市民」はどこまで知り、どこまで判断しないといけないのか。凡人であるわたしは、そりゃムリなんじゃないかと思う。まあそれでも、わたしは少しづつお勉強はするかも知れないが、さてそれで何だというのか。
デモクラシーか 資本主義か: 危機のなかのヨーロッパ (岩波現代文庫 学術 406)
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NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第五番 BWV816 で、ピアノはシェン・ユエン(NML、MP3 DL)。■ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第二番 op.68 で、演奏はフィッツウィリアム弦楽四重奏団(NML、CD)。■シューベルトの「無限なものに」 D291、「星」 D939、「音楽に寄せて」 D547、「憂い」 D772、「白鳥の歌」 D957 ~ 第二曲「兵士の予感」、「小人」 D771、「さすらい人」 D489 で、バリトンはディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ピアノはジェラルド・ムーア(NML)。
晴。
早起き。
NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第四番 BWV815 で、ピアノはシェン・ユエン(NML、MP3 DL)。■ハイドンの交響曲第八十六番 Hob.I:86 で、指揮はエルネスト・アンセルメ、スイス・ロマンド管弦楽団(NML、CD)。■ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番 op.37 で、ピアノはマルタ・アルゲリッチ、指揮はクラウディオ・アバド、マーラー室内管弦楽団(NML)。
Mozart: Eine Kleine Nachtmusik
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電子書籍で東浩紀さんを読んでいて、ソクラテスの刑死についてこんな言葉が書かれていた。「…ソクラテスにむけられた非難は要は、おまえはなんかあやしい、嫌なことをいう、みんなの空気に水を差す、だから死ねというものである。犯罪の具体例はなく、噂による感情の暴走だけがある。それは、現代の SNS で頻発するリンチとまったく変わらない。」思わず感動させられた。洵にそのとおり。だから何だということはないけれど、感動してしまった。それと似ているが、「お前は何か気に入らない。だから死ね」というのもよくあると思う。我々がかかる発想から逃れるのは大変にむずかしい。では、さてかかる根本的にまちがった発想を、議論に強い人が罵倒しつつ、完膚なきまでに叩き潰す、でブロック、そういうのも時に見られる。それはいいのだろうか。自分は何となくそれも気になるのだが、いいのだろうな、たぶん。
しかし、皆んな SNS で何がしたいのですかね。何で SNS なんかやっているの? 愚問ですかね。
ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。エンゼルクリームボール+ゴールデンチョコレートボール+ブレンドコーヒー344円。岡本隆司の続きを読む。第十章まで読んだ。そろそろ「反日」の起源に関わりある話が出てきたが、しかしやはり「反日」云々はあまり関係ない本な気がする。優れた歴史書をひさしぶりに読んでおもしろい。なんか、中国(清)の「中華意識」は当然なのだが、日本にも日本なりの「中華意識」があるという話で読んでいてあまり愉快でない。それに、清も日本も「朝鮮」を属国関係とか、とにかくコマのひとつとしか見ていなくて、それもあんまり愉快でない。そこで李鴻章と伊藤博文との丁々発止などもマンガ的にドラマティックな感じはあるが、しかしそういう目で歴史を見る(これは本書のことではありません)というのもなあ。ちなみに「琉球」もそれと同じくコマのひとつにすぎない。そしてつくづく思うのが、国のこういう自分たちの生きたわけでもない過去の歴史を否応なく後世が引き受けなくてはならぬという事実も、何とはなく気鬱である。自分が日本人として生まれたのは偶然にすぎないといえばそうであり、例えば中国に生まれていればまったくちがった歴史を引き受けねばならないわけで、まあしかしそのような仮定そのものが無意味だ。
同様に、いまの日本が沈没しかかっているのもまた後世の日本人が引き受けないといけないわけで(もちろんいま何とかしないといけないのだが、その後である)、かかる無限連鎖に疲れる。何を幼稚なことをいっているのだと我ながら思うが。
そして、国家に殉じた(?)死者たちの重みというか、それはほとんど「怨念」だ。怨念の堆積。それを利用する者たち。
日没前、散歩。
自分などが危険視される対象なんでしょうね。わたしにちかんされそうな女性たちは精々注意するとよろしい。
ああ、こんなところがあったのだな。近所に何十年住んでいるというのだ。空では戦闘機が轟音をたてて北上していく。夜の日本海上でのミッションなのだな。各務原は基地(航空自衛隊岐阜基地)の町である。
いつまでこの光景が見られるものか。
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岡本隆司『増補 中国「反日」の源流』読了。感想はこれまでに書いたので繰り返さない。本書は啓蒙書であり、本格的かつリーダブルで、とてもおもしろかった。題名は 1905年への注目以外、微妙なところ。中国、日本の双方を向いた、近代に関する歴史書である。著者は新書本も何冊か書いておられるので、そのうち読むと思う。
晴。
ごろごろぐーぐーばかりしている。
昼から珈琲工房ひぐち北一色店へ。自分の部屋にいると何もしたくないので、せめて喫茶店で強制的に読書をする。ま、おいしいコーヒーも飲めるしな。岡本隆司『中国「反日」の源流』の文庫本を読む。題名からすると現代中国論のように、それも下らぬ本のように思えるかも知れないが、じつは明の時代から始まる、硬い歴史書で、ある中国の専門家は名著だとしていた。最近あらゆる分野で自分の知識の底の浅さを痛感しているので、まあ焼け石に水ではあるがお勉強も兼ねて読み始めた。なるほど、第一部を読み終えたけれども、わたくしのごとき素人だが、敢てエラソーに名著といってもよろしいであろう。近代中国(繰り返すが明以降である)と近代日本(江戸時代。むしろ慣行に従って「近世」というべきか)を対比した(この「対比」は幾許かの必然性がある)、骨太の歴史書である。いまや、中国史や日本史でも、かなり定量的な考察が可能なのだなと目からウロコであった。それにしても、マルクス主義歴史学はほとんど滅びたようであっても、いわゆる「唯物史観」は却って徹底されているように思われ、マルクス主義歴史学もムダではなかったように素人目には見える。いまや、歴史学においても経済学的な考察力は必須であるのだなと思わざるを得なかった。もちろんいまの学者からすれば当然のことであるだろうが、いかにわたしの知識が古びているかがわかる。
なお、第一部では「反日」の話はほとんど出てこない。かつての中国における「国家と民衆の乖離」がいかに日本の過去(江戸時代)と異なるかという記述がメインだと思う。それから、明・清の徴税システムの話。すごくおもしろい。
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NML で音楽を聴く。■メシアンの「四つのリズムのエチュード」 ~ No.1 Ile de feu I, No.2 Mode de valeurs et d'intensités で、ピアノはピエール=ロラン・エマール(NML、CD)。■武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」で、指揮は小澤征爾、ボストン交響楽団(NML、CD)。これはわたしの精神の器が小さいせいであるが、自分は武満の音楽にもっとも謎めいたものを感じる。あと他に似たような音楽家を挙げればベートーヴェンであろうか。どこまで追っても先が見えない感じなのだ。何か世界の無限に接続しているとでもいいたい気がする。■ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第十五番 op.132 で、演奏はフィッツウィリアム弦楽四重奏団(NML)。
ほお、フィッツウィリアムSQ は NML にショスタコーヴィチ全集があるぞ。■スクリャービンのピアノ・ソナタ第三番 op.23 で、ピアノはドミートリー・アレクセーエフ(NML)。スクリャービンよりロマンティックな音楽は存在しない。スクリャービン:ピアノソナタ全集 (Scriabin: Complete Piano Sonatas)
シベリウスは長生きしたが、晩年の三十年間はほとんど何も作曲することなく過ごしたのだな。僕はシベリウスが好きだが、それはわたしの耳の保守性を示すものかも知れない。それに、アナリーゼができないこともあって、シベリウスの音楽の緊密性、独創性というものはわからない。ただ、好きというにすぎない。こういう感想は的外れかも知れないが、交響曲第五番やヴァイオリン協奏曲は、演奏者も聴き手も命を削るような音楽だと思っている。
日曜日。晴。
NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第三番 BWV814 で、ピアノはシェン・ユエン(NML、MP3 DL)。■モーツァルトのピアノ協奏曲第二十一番 K.467 で、ピアノはジャン=エフラム・バヴゼ、指揮はガボール・タカーチ=ナジ、マンチェスター・カメラータ(NML)。
Digital Booklet: Mozart: Piano Concertos, Vol. 4
濱口先生のブログを読んでいたら「女は風俗、男は原発」という一句(?)があって含蓄深いなと思った。原発は安全という人たちは、現場で働いてみるとよいのではないかな。
そういえば、随分昔の話になるが、わたしの知人の弟(就職氷河期世代である)は高校を出て学校の「推薦」で岐阜から(何故か)神奈川の人材派遣業に勤めた、というか登録していたのだが、しばしば原発へ「派遣」されるので仕事を止めてニートになっていた。この国は闇が深い。
曇。
よく寝た。
NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第二番 BWV813 で、ピアノはシェン・ユエン(NML、MP3 DL)。よい。■ラヴェルのピアノ三重奏曲イ短調で、演奏はトリオ・ラヴェル(NML、CD)。なかなかよかった。
しかしラヴェルはすごい。わたしは精神の器が小さいので、しんどくてしばらくベッドにぶっ倒れていた。
焼きそばを腹いっぱい食った。NHK の「ドキュメント72時間」を見た。
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図書館から借りてきた、松浦寿輝『人外(にんがい)』読了。エンタメは中断したあと読み始めるのが難儀だが、なんとか少しづつ物語の中に入っていった。なかなか哀切に満ちた終りだった。いや、「希望に満ちた」なのかも知れない。背景世界の謎はなんとなくはわかるが、最終的に明らかにはならなかった。まずは、高級エンタメとして充分の出来だろう。マンガやアニメにしてもよいだろうし、それらとの親和性は高い。人気が出るかも知れない。しかし、結局あの松浦寿輝でもこんなものなのか、高級とはいえ、所詮エンタメかという感じも残る。エラそうで、ないものねだりで御免なさい。
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野呂邦暢の随筆集を読む。みすず書房から出ている、大部のものである。第二巻の真ん中あたり、野呂が亡くなるまでを読んだ。あとは続きものが残っている。解説は岡崎武志さんで、少し読んでみたが、もったいないので本書を読み終えてから読もうと思う。解題を読むと、野呂は最後の二年間に膨大な量を書いているとのこと。文名が上がったからだろうし、また野呂は注文はすべて引き受けるのがプロという考えの持ち主だったそうである。それにしても早死で、確かに生き急いだ感じもする。しかし野呂の文章を自分の血肉にした文筆家もいまではちらほらいて、死後深く読まれる作家になった。小説ももう少し読んでみたいのだが、しかし全八巻の「小説集成」は市の図書館にも県の図書館にもない。
zenkoh.hatenablog.comあら、知らぬ間に善行堂さんのブログがはてなブログになって再開されていた。たぶんリダイレクトの設定をしておられなくて気づかなかったのだな。okatake さんも戻ってくるとよいのになあ。
忘れていた。昨日の写真。
わたしのプランターの初物。家の前に畑があるのだけれど、そこは老父の領分なので、わたしはプランターで遊んでいる。といってもミニトマトは手間がほとんどかからないので、じつは何もしていないも同然。乾燥しているときに水をやったりとか、茎を支柱に結びつけてやるとか。最近はちょっと病気が出てきたので、黄色くなった枝や葉を除いてやるかな。
庭の好きな色のアジサイ。
深夜起床。
松浦寿輝の『人外(にんがい)』という小説を読む。気持ちが悪いのは閉口だが(わたしはホラー映画を見る人の気が知れない)、安定した高級エンタメぶりはすばらしく、つい一気に半分くらい読んでしまった。いつもの松浦寿輝同様、一種の幻想小説といってよく、少しづつ背景世界の謎が開示されていくスリリングさで読まされてしまう。さて、半分も読めばかなりこの世界の成り立ちがわかってきて、このあとどうなるか興味津々だ。
NML で音楽を聴く。■モーツァルトの弦楽四重奏曲第二十三番 K.590 で、演奏はクレンケ四重奏団(NML、CD)。この曲は本当におもしろい。終楽章など、もう注文をこなすことはあきらめて、書きたいように書くというふうに抑えが効かなくなっている。この曲で注文作品を書き止めてしまったのはまったくもっともである。ほとんどヤケクソで書いたのではないか知らん。■シューベルトの「憩いなき愛」 D138、「白鳥の歌」 D957 ~ 第一曲「愛の便り」、「夕映えのなかに」 D799、「白鳥の歌」 D957 ~ 第七曲「別れの歌」で、バリトンはディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ピアノはジェラルド・ムーア(NML、CD)。■バッハのフランス組曲第一番 BWV812 で、ピアノはシェン・ユエン(NML)。これは…。マジで残りを聴くのが楽しみ。シェン・ユエン、何者。